沖縄の障がい者アートを支援、道開いた朝妻彰さん 個性豊かな作品、海外展覧会でも話題 思いは仲間に継承


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「アートキャンプ2019展 表現することの根源へ」で作品を鑑賞する来場者ら=2019年9月4日、宜野湾市の佐喜眞美術館
「障がいの有無に左右されず、共に暮らせる社会をつくりたい」と語る朝妻彰さん=2021年1月、浦添市前田

 美術の専門的な教育を受けていない人や障がいのある人が、伝統や形式にとらわれず表現する芸術活動「アール・ブリュット」。6月11日、病気療養中のところ亡くなった朝妻彰さん(享年74歳)は、障がいのある作家の作品を集めた展覧会「素朴の大砲」を手掛けるなど、沖縄のアール・ブリュットの黎明(れいめい)期を支えてきた。障がいの有無に左右されない社会を目指したその遺志は、同じ志を持つ仲間に引き継がれている。

 新潟県新潟市の出身。沖縄に移り住み、1977年から養護学校(現特別支援学校)の美術教諭として働いた。当時県内には卒業後、生徒の活動場所がほとんどなかった。卒業式のたびに生徒の将来を案じた。「この子たちは明日から行く場所がなくなってしまう」

 障がいのある人が活動できる共同作業所の設立に立ち上がり、82年に開所した若竹共同作業所の設立に向け、事務局長として尽力した。仕事が休みの日には資金造成のため廃品回収に奔走した。

 その後力を入れたのは子どもたちが創作活動を続けられる環境づくり。教員退職後も若竹福祉会の芸術指導者として携わった。利用者に絵画や陶芸の楽しさを伝え、一人一人の自由な表現力に「いいぞ、いいぞ」と目を細めていた。
 (吉田早希)


豊かな才能と社会つなぐ 黒子徹し利用者に伴走

絵画や陶芸を通し自分の世界を伸びやかに表現する=13日、浦添市前田

 浦添市前田の若竹福祉会で13日、週に2日ある創作活動が始まった。メンバーそれぞれが絵画や陶芸の作品づくりに取りかかる。真っ白な画用紙にペンを伸び伸びと走らせ、手先に集中しながら粘土を操った。自分の世界を伸びやかに表現できるよう支援することは、美術指導者だった朝妻彰さんが大切にしていた方針だった。

 朝妻さんは養護学校を卒業した生徒の制作機会や発表の場を設けようと、美術教諭らを中心に実行委員会を立ち上げ、展覧会を企画した。2001年に「アートキャンプ2001 素朴の大砲」を浦添市美術館で開催し、個性あふれる作品は多くの人の心を引きつけた。展覧会は今も継続して開かれ、県内作家の作品を発信している。

 朝妻さんらが資金造成に駆け回り、1982年に誕生した若竹共同作業所。サマーキャンプ中の事故による訴訟問題や作業所の全焼など、多くの困難があった15年間の無認可作業所時代を経て、97年に社会福祉法人として認可された。

朝妻彰さんが描いた若竹共同作業所の絵を手に持つ若竹福祉会総合施設長の村田涼子さん=13日、浦添市前田

 総合施設長の村田涼子さん(70)は、共同作業所の立ち上げから活動を共にしてきた。亡くなる2週間前まで事業所に足を運んでいた40年来の「同志」に感謝は尽きない。「障がいのある人を一人の人間として信頼し、彼らのアートに情熱を注いだ。人々の障がい者に対する考え方を変えてくれた」と振り返る。

 「朝妻さんから学んだことは、私たち職員は黒子であるべきだということ。彼はいつも利用者の黒子に徹して伴走し、一人一人の豊かな才能を引き出して社会とつないでいた」と語る。

 若竹で創作活動をするメンバーらの作品は、英国やスイス、フランスの展覧会に出展され話題となった。県内でもアール・ブリュットに関する展覧会が増え、「沖縄手帳」での作品掲載や工事現場の仮囲いを活用した展示など、活躍の場は広がりつつある。

 朝妻さんは、八重瀬町にあるNPO法人やえせ就労支援センター野の花の理事長も務め、絵画や陶芸、和紙づくりを教えた。あるとき通所するメンバーの一人が色鉛筆で円や線を描いていた。施設長の金城ゆりえさん(61)が、落書きかと思っていると「朝妻理事長はそれを額縁に入れ、『これも一つの絵だからね』とすてきなアートにしてくれたんです」。既存の型にはめ込むのではなく、個性を尊重する姿勢を教わったという。

 障がいのある人が一人の人間として認められ、共に暮らせる社会を想像した朝妻さん。自身が魅了された彼らの芸術に光を当て続けた。
 (吉田早希)