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【識者談話】グローバルな軍事支配が島の日常を破壊 伊江島LCT爆発75年 謝花直美(同志社大学<奄美-沖縄-琉球>研究センター嘱託研究員)


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

1948年8月6日に伊江島でロケット弾を積んだ米軍のLCT(輸送船)が荷崩れを起こし爆発し、107人が亡くなった。沖縄戦後史における同事件の位置づけについて識者の見解を聞いた。

 

謝花 直美氏

 LCT爆発事件は、米軍の東アジアの軍事ネットワーク形成の中で起きたことを認識する必要がある。

 伊江島にはフィリピン・スカウトと中国国民党軍がいた。おびただしい砲弾を巡り、日本空爆用の砲弾廃棄、国民党軍の砲弾運び出しがなされ、村の青年たちは知らずに労働で支えていた。グローバルな軍事支配が島の人々の日常を破壊したのが米軍LCT爆発事件だったととらえる必要がある。

 米軍が沖縄を占領して以来、多くの死傷者が出た事件だった。死者は若者や子どもが多い。苛烈な伊江島戦を生き延び、あるいは戦後に生を受けた世代は、島の希望だったと言えるだろう。

 1945年の「沖縄の縮図」と言われた伊江島戦から、55年の軍用地強制接収までの苦難の10年間に、爆発事件があった。島の人々が立ち上がろうとする度に米軍の軍事支配がそれを打ち砕いていたことを、私たちは知る必要がある。

 事故後、遺族らは運動を重ね、終戦の日から講和条約発効までの期間、米軍・軍人・軍属による県民に対する人身、財産等への損害を補償する「講和前補償」を65年に実現させた。だが現在「復帰」後に適用された日米地位協定でも、人身事件の補償の困難を被害者たちは訴えている。

 こうした視点からも、「講和前補償」の伊江島の人々の苦闘を学び直し、生かすべきではないか。

 (沖縄戦・戦後史)