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【深掘り・識者】戦争遺跡の文化財指定わずか2% 具志川グスク壕は28カ所目 他地域への波及に期待も


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字具志川の青年らの集団死があった具志川グスクの壕。手前は慰霊碑

 本紙の調べでは、戦争遺跡は県内41市町村で1300カ所以上が確認されている。ただ、県教育委員会文化財課によると市町村などが文化財指定している戦争遺跡は少なく、うるま市が9日に文化財指定した具志川グスクの壕で28カ所目だ。文化財指定された戦争遺跡は全体の約2%にとどまっている。

 最近では2021年5月11日に西原町小波津の「小波津弾痕の残る石塀」が町の文化財に指定された。壕やガマは読谷村波平のチビチリガマや南風原町喜屋武の沖縄陸軍病院南風原壕など6市町村11カ所が指定されている。

 文化財指定が進まない理由として、戦跡の風化や体験者の高齢化で証言の裏付けが困難であること、私有地や米軍基地内に存在するなど所有権の問題などが挙げられる。

 具志川グスクは1965年に初めて発掘調査され、その後の調査でも数多くの遺物が出土している。「集団自決」(強制集団死)があった壕も2005年発刊の「具志川市史第5巻戦争編」や、13年発刊の「具志川字誌下巻」で体験者証言の裏付けがあったことで、文化財指定につながった。所有者の具志川自治会が協力的だったことも大きかった。

 壕は44年に日本軍が機関銃陣地壕として構築し、現在5基確認されている。「集団自決」(強制集団死)があった壕はうち一つ。入り口は崩落しており、中を見ることはできない。

 所有者の具志川自治会は地域の学校の平和学習でグスクや壕を訪れることを推奨しており、これまではボランティアで草刈りなどの整備をしていた。字誌の編さんに携わった地元住民が平和ガイドを担っている。毎年慰霊祭を開催するなど、継承にも取り組んでいた経緯があった。(金盛文香)


<識者談話>當眞嗣一氏(グスク研究所主宰)

當眞 嗣一氏(グスク研究所主宰)

 最近では2021年5月11日に西原町小波津の「小波津弾痕の残る石塀」が町の文化財に指定された。壕やガマは読谷村波平のチビチリガマや南風原町喜屋武の沖縄陸軍病院南風原壕など6市町村11カ所が指定されている。

 文化財指定が進まない理由として、戦跡の風化や体験者の高齢化で証言の裏付けが困難であること、私有地や米軍基地内に存在するなど所有権の問題などが挙げられる。

 具志川グスクは1965年に初めて発掘調査され、その後の調査でも数多くの遺物が出土している。「集団自決」(強制集団死)があった壕も2005年発刊の「具志川市史第5巻戦争編」や、13年発刊の「具志川字誌下巻」で体験者証言の裏付けがあったことで、文化財指定につながった。所有者の具志川自治会が協力的だったことも大きかった。

 壕は44年に日本軍が機関銃陣地壕として構築し、現在5基確認されている。「集団自決」(強制集団死)があった壕はうち一つ。入り口は崩落しており、中を見ることはできない。

 所有者の具志川自治会は地域の学校の平和学習でグスクや壕を訪れることを推奨しており、これまではボランティアで草刈りなどの整備をしていた。字誌の編さんに携わった地元住民が平和ガイドを担っている。毎年慰霊祭を開催するなど、継承にも取り組んでいた経緯があった。(金盛文香)