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言語とアイデンティティー 違いの説明、小説が有効<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 自らが日常的に用いる言語が、その人のアイデンティティーに無視できない影響を与える。ただし、ロシア人や日本人(この文脈では沖縄人を除く)大民族は、同じ言語を話してもアデンティティーを異にする人の存在が皮膚感覚として分からないことがある。

 1980年代末期のことだ。当時、モスクワの日本大使館に勤務していた筆者は、ラトビアのソ連からの分離独立を志向するラトビア民族戦線の活動家と親しくしていた。人民戦線にはロシア人が少なからずいた。この人たちは自らを侵略者の子孫と位置付けており、自己批判的な意味を含め、ラトビアはソ連から分離独立すべきと考えていた。

 この人たちが考える独立後のラトビアは、民族的帰属にかかわらず、民主的な独立共和国に忠誠を誓う人々によって形成される市民共和国を考えていた。しかし、91年8月のソ連共産党守旧派によるクーデター未遂事件でソ連が自壊し、その結果できたラトビア共和国は自民族中心的傾向を強め、ロシア系住民は元人民戦線活動家を含め二級市民とされ、多くの人が無国籍者となった。

 80年代末、ラトビア人でも母語をロシア語とし、ラトビア語が流ちょうでない人が少なからずいた。こういう人たちはロシア語で思考し、話し、書いた。ただし、これらの人々はロシア人とは異なるアイデンティティーを持っていたのだ。

 ロシアはウクライナのルハンスク州、ドネツク州、ザポリージャ州、ヘルソン州を2022年9月に併合した。これら4州の住民がロシア人だという認識に基づいてだ。

 確かに4州の大多数の人々はロシア語を話し読み書きする。ロシア正教を信じる人が大多数で生活はロシア文化と結び付いている。しかし、この人々のアイデンティティーは、ロシア人と完全に同じではない。自らがウクライナの伝統にも属しているという複合アイデンティティーを持っている。このことがロシア人には皮膚感覚で理解できないのだ。

 沖縄人の大多数は、日本語で読み書きし、日本語を話す。ラジオの方言ニュースがあるが、日常的に聞くのはほとんど日本語だ。しかし、沖縄人は日本人とは異なるアイデンティティーを持っている。このことが日本人には皮膚感覚で分からない。同じ問題を抱えるのが在日韓国人と在日朝鮮人だ。在日韓国/朝鮮人の4世、5世では日常的に日本語を用い、日本語で思考する人が少なからずいる。しかし、この人々のアイデンティティーは日本人とは異なる。この現実を日本人は皮膚感覚でなかなか理解できない。

 日本語を日常的に用いる少数派のアイデンティティーを伝えるのに有効な手段が小説だと思う。沖縄人作家が書いた優れた小説を読むことで、日本人に対して「私たちはあなたたちとはどこが違うか」ということを日本語で説明できるようになる。この作業を抜きにして沖縄人と日本人の真の相互理解はできないと思う。

(作家・元外務省主任分析官)