有料

無病息災、豊作、豊漁を祈り 沖縄本島北部各地で4年ぶり綱引き 区民一体、熱戦繰り広げる


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

<国頭・楚洲> 約40人、4分間の攻防

無病息災などを祈り綱を引く楚洲区民ら=12日、国頭村楚洲

 【国頭】国頭村楚洲区(森根義徳区長)の綱引きが旧暦の6月26日に当たる12日、集落前の浜で開催された。新型コロナウイルスの影響で、行事が実施されるのは4年ぶり。区民や同区出身者ら約40人が参加し、無病息災や子孫繁栄、五穀豊穣(ほうじょう)を祈った。約4分間の攻防の末、集落の下方組が勝利した。

 綱引きを前に、森根区長らが集落の御願所で泡盛をささげて拝み、安全を祈願。50年ぶりに綱を引いたという区出身者や外国人留学生らも参加し、集落の神屋(カミヤー)を中心に、上方と下方に組み分け。雄綱と雌綱をつなぐカニンティ棒が差し込まれると、参加者らはボラや太鼓に合わせて「ハーイヤ」とかけ声を出しながら懸命に綱を引いていた。

 祖父母や両親ら家族で、初めて参加したという上間小学校4年の大城幸太郎さん(9)=那覇市=は「転びそうになったが、楽しかった」と笑顔を見せていた。森根区長は「4年ぶりの開催で不安もあったが、伝統行事をつないでいくことを考えて準備に当たった」と話した。
 (池田哲平)

<伊平屋・我喜屋> 男女でガーエー、東が勝利

縄を編む区民たち
ハシルに乗り太刀を切り結ぶ武士姿の若者=11日、伊平屋村の我喜屋地区公民館前広場

 【伊平屋】伊平屋村我喜屋地区公民館前広場で11日、4年ぶりの綱引き行事が催された。古くは田名、島尻、野甫でも行われていたが、今では我喜屋地区のみで行われている。

 当日は朝早くから区民が集まり、7時間ほどかけて綱を編んだ。3人がかりで7本の小綱を編み、それを持ち寄り大綱にする。小網は二つ折りにして短

い方を絡めて次々に重ねていく。大綱を締める際には棒で強くたたきながら巻く。作業を行う高齢者は、次の世代に熱心に引き継いでいた。

 日没後、まず、ガーエー(ぶつかり合い)が男女に分かれて3回ずつ行われた。今は押しくらまんじゅうのように行うが、かつては取っ組み合いになるほどだったそう。次に、ハシル(戸板式につくられた神輿(みこし))に乗った武士姿の若者が東西から現れ、太刀で切り結ぶしぐさをする。東が「ホーイヤー」と言うと西が「ホーホイ」と応えるかけ声が気分を盛り上げる。

 祭りムードも高まりいよいよ決戦の時。かけ声に合わせて熱気と歓声の中、参加者全員で一心に綱を引き合った。3回戦目で東が勝利した。
 (関麻衣子通信員)

<宜野座・惣慶>「惣慶根性」健在ぶり示す

宜野座村惣慶区の豊年祭での綱引き大会=11日、宜野座村惣慶区公民館前

 【宜野座】宜野座村惣慶区(伊芸勝也区長)で11日(旧暦6月25日)、4年ぶりとなる豊年祭の大綱引きが行われた。多数の区民が参加し、惣慶区の心意気である「惣慶根性」の健在ぶりを実感させる盛り上がりとなった。夕方ごろ、天候が回復して絶好の豊年祭日和となった。

 字を前原(ミンダケ)、後原(クシダケ)に二分し、開始1時間前に前原はロータリー「ヘムトゥマ」に、後原は公民館近くの「あじまー」に、役員などが集いそれぞれ区の繁栄と五穀豊穣(ほうじょう)、綱引きの勝利を祈願した後、綱引きが行われる公民館前に向かった。銅鑼(どら)の音が鳴り響き、活気にあふれた公民館前には、区内外からたくさんの老若男女が綱引きに集った。

 綱の上に乗る「支度」は、後原は男子児童が勇ましい武士を、前原は女子児童が琉装の姫役をそれぞれ担った。支度をお披露目行列しながら両組が中央で相まみえると、決戦への士気は否が応にも増す。ガーエーでは旗頭、青年会、婦人会と互いにぶつかり合い、嘉例(かりー)をつけた。「カナチ棒」が差し込まれ、午後7時にいよいよ綱引きが開始されると、わずか10秒足らずで後原が勝利した。綱引き後は、全島沖縄角力の熱戦に大観衆が沸いた。
 (池辺賢児通信員)