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「あの時はしかたなかった」 鈴木陽子(沖縄愛楽園交流会館学芸員)<未来へいっぽにほ>


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鈴木陽子

 私たちはなぜ、あのような行動をしたのかと自他の行動を振り返ることが少なくありません。そして許しがたい言動も、その行動が出てくる背景を理解しようとします。「あの時はしかたなかった」と、許容しようともします。「あの時はしかたなかった」は、後悔や批判から出てくる言葉ですが、自他を理解し、許すかのように使われます。

 隔離政策下の愛楽園で働いた職員たちは、一般社会からの差別的なまなざしにさらされながらも、入所者への「献身」がたたえられ、同時に、入所者に対する行動制限や罰則、断種や堕胎すらも職務とされました。その職務の実行は「あの時はしかたなかった」と語られることがあります。

 実行者が「あの時はしかたなかった」というのは、加害行動への理解を求めることであり、免罪の訴えです。しかし、「あの時はしかたなかった」と言われる被害者は、「あの時」に被害を受け、「しかたなかった」と言われる今、再び、被害を受容するようにと言われるのです。被害者にとっては再度の被害です。

 新型コロナ禍で、さまざまな人が共に地域で暮らすことに制限がかかり、私たちは「あの時はしかたなかった」と思うことをたくさん経験しました。今、コロナ禍はウィズコロナに変わり、私たちは日常生活を取り戻しました。しかし、私たちが自由に動き回る一方で、取り残されている人々がいないでしょうか。

 再び、「あの時はしかたなかった」と言わないために、地域社会から見えなくされた人々がどのような状況にあるのか、コロナ禍にさかのぼって検証が必要だと思うのです。