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記録していく必要を痛感 金城大樹(北部報道クループ) <ゆんたくあっちゃ~>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

written by 金城大樹(北部報道グループ)

 7月、久しぶりに伊江島を訪れた。晴れた空の下、家族連れやカップルらがフェリーを下りた。75年前の8月6日、同じように伊江港に下船した人々は、米軍が島に残した未使用の爆弾によって命を落とした。

 8月、伊江島米軍爆弾輸送船(LCT)爆発事件の連載を担当した。5人の体験者に当時の話を聞いたが、爆発直後の状況はまさに地獄のようだった。

 体験者の山城正源さんは、爆発後、砂浜で血だらけになって倒れる姉の恵美さんを見つけた。恵美さんは亡くなる最後の瞬間まで、息子の良明さんの名前を呼んでいたという。良明さんは海岸で遺体で見つかった。姉と甥の話をする山城さんの目は悲しげで、「人間の死に方じゃない」とショックを受けた。

 伊江村民は終戦後、2年余り島に戻ることができなかった。ようやく帰村が許され、復興に向けて住民が一丸となって奮闘していた矢先に、爆発は起きた。犠牲になった人には明日の予定もあっただろう。復興する明るい伊江島を夢見ただろう。彼らの苦しみ、無念さは計り知れない。

 爆発事件を継承する伊江島米軍LCT爆発事件8・6の会の長嶺福信さんは、一人で体験者の聞き取りを続けている。長嶺さんによると、いまだ多くの人はつらい記憶にふたをし、話せないでいるという。爆発から75年がたち、当時を知る人も少なくなった。今後もメディアが風化させずに、記録していく必要があると痛感した取材となった。

(金武町、宜野座村、恩納村、伊江村)


ゆんたくあっちゃー 県内各地を駆け回る地方記者。取材を通して日々感じることや裏話などを紹介する。