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商店街にアカツキシャツ コザの街で盛り上がりに寄与したもの <バスケW杯の激闘 沖縄でつかんだパリ切符・中>


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 バスケットボール男子日本代表がカボベルデに勝利し、パリ五輪切符をつかんだ2日、那覇市や沖縄市、北谷町のパブリックビューイング(PV)会場では大勢の来場者がカチャーシーを舞い、指笛を鳴らして快挙を祝った。県内バスケ関係者は「大会は大成功だった」と口をそろえた。県バスケットボール協会や行政、民間企業などあらゆる関係者が大会を盛り上げようと行動し、思い描いてきた光景が結実した。

日本―カボベルデ 日本の最終戦直前には、会場前でダンスが披露され、応援ムードをさらに盛り上げていた=2日、沖縄市の沖縄アリーナ(小川昌宏撮影)

■至る所で

 4月、那覇市や沖縄市ののバスケショップ店員らはW杯について「実感が湧かない」と一様に答えた。ロゴ使用や関連商品の販売などは制約があり、民間でできることは限られていた。一方で、有志による「バスケットボールW杯応援団」が結成されるなど、県内の至る所で機運を高める動きが出てきた。
 大会が近づくにつれ、県などで構成する開催地支援協議会を中心に、バスケクリニックなどの関連イベントが増えていった。大会期間中は協議会が主催するPVのほか、沖縄市やさまざまな民間企業が独自にイベントを開催した。

■コザフェスが人を呼ぶ

 一番街商店街の「BAR GREEN」の伊波祐樹店長によると、日本代表の「アカツキジャパン」をイメージした赤のシャツでファンたちも商店街に繰り出した。普段、Bリーグ琉球ゴールデンキングスの試合日にユニホーム姿を見せるファンと同じ光景が生まれた。
 伊波さんは「(沖縄市が主催した)コザフェスが人を呼んだ」と語る。大会期間週末にコザ・ゲート通りでORANGE RANGEなどによるライブイベントで、「音楽のまちに音楽好きが集まった。そのままお酒を飲んでPV会場に流れるお客さんが多かった」と振り返る。
 古民家民宿「ごーやー荘」を営む野下秀広さんによると、昨年10月にはW杯期間の予約がいっぱいになったという。大会期間は旧盆に重なり、宿泊客から「太鼓の音に誘われて道ジュネーを探し回った」という声も相次いだという。沖縄市の魅力をアピールし「大満足してもらった」と実感を込めた。

■試金石

 PV会場にもなった北谷町のコーヒーショップ「ジバゴ・コーヒー・ローステリー」では、近くのホテルに各国の選手が宿泊していたこともあり、選手やファンで連日にぎわった。
 飯星健太郎代表によると、10日間で延べ約1万2千人が訪れ、試合前にはコーヒーショップ前の広場で北谷町の青年会がエイサーを披露するなど、町と連携を取りながらイベントを開いたという。飯星代表は「イベントやポップアップの依頼が増えた」と手応えを語る。W杯は経済効果が期待できるだけではない。関係者にとって、今大会の成功は次の世界大会招致に向けた試金石でもあった。桑江朝千夫沖縄市長は「本土復帰後、政治家の大先輩や経済人が本土に追い付こうと努力して50年がたった。世界大会を開くことができるまでに成長した沖縄を大勢の人にアピールできた」と感慨深げに語った。

(古川峻)


 強豪国から3勝を挙げ、沖縄アリーナでの激戦は語り継がれることになる。日本代表が躍動した大会を振り返る。