祖父母思い鎮魂歌 渡嘉敷慰霊祭 遺族・宮城さん、歌で追悼


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渡嘉敷村の慰霊祭で宮城千恵さん(後方)が作詞した「命どぅ宝」を歌う母の幸子さん(左から2人目)と親族=3月28日、渡嘉敷村「白玉之塔」

 【渡嘉敷】沖縄戦中、渡嘉敷島で「集団自決」(強制集団死)で住民330人が犠牲になってから71年の3月28日、渡嘉敷村主催の慰霊祭が「白玉之塔」で開かれた。宜野湾市から訪れた遺族の宮城千恵さん(57)が、自身が作詩した鎮魂歌「命どぅ宝」(作曲・入里叶男氏)を母親の幸子さん(88)と親族3人と共に歌い、み霊を慰めた。

 宮城さんは大学時代に研修で渡嘉敷村を訪れる際、母の幸子さんから「島に行ったら祖父母のみ霊が祭られている白玉之塔で手を合わせなさい」と初めて言われて、研修の合間に同塔を訪ねた。
 祖父の故真喜屋実意さん、その妻ナヘさん=那覇市首里=の2人の氏名が刻まれているのを見て心に深い衝撃を受け、「おじいちゃんに会いたい!」とつい叫んでしまった。その時の思いを詞にしたという。
 「つきぬける青い空 はじける白い雲 深い緑に透き通った青い海 平和な 平和な この島で 起こった悲しい出来事 何故 何故 亡くなったの おじいちゃんおばあちゃん 私は そのぬくもり知らない 白玉之塔に刻まれた 名前を指でなぞるだけ 美しい島は語る 命どぅ宝」
 2002年に犠牲者の魂を慰めるために曲にし、12年に35年ぶりに開かれた村主催の慰霊祭で歌い、以後、慰霊祭に4年連続家族や親族と参列し、式典で「命どぅ宝」を一緒に歌い続けている。
 実意さんは戦前那覇市から移住し、渡嘉敷村の第5代村長や同国民学校長を務め、沖縄戦当時の同村産業組合長時に島の北山で「集団自決」を強いられて亡くなった。
(米田英明通信員)