普天間移設 民主政権時に領海外案 元防衛次官ら模索


この記事を書いた人 新里 哲

 【東京】元防衛事務次官で東京財団理事長の秋山昌広氏らが、2010年の民主党政権当時、米軍普天間飛行場の代替施設として、県近海の領海外に浮体型施設を建設する計画を立て、米政府に働き掛けていたことが分かった。交渉者は秋山氏と外務省OBで現在は国家安全保障局(NSC)局長の谷内正太郎氏。秋山氏は取材に対し「同案は米海兵隊によってつぶされた」などと証言した。民主党政権時に政府の公式な外交ルート以外で米外交筋や防衛筋に人脈のある人物が別の案について水面下で交渉していたことが明らかになった。

 秋山氏は1996年に橋本・モンデール会談で普天間の返還が発表される前に、防衛庁防衛局長として返還合意前の日米交渉に携わった数少ない一人。秋山氏が民主政権時に海上浮体施設建設案で米側と交渉していたことを明らかにするのは初めて。
 秋山氏らの案はセミサブ(半潜水式浮体)と呼ばれる半潜水式の浮体構造物を浮かべる工法だった。
 「最低でも県外」を掲げた民主党政権が誕生した後、秋山氏は「新政権で辺野古移設は無理だと思った」とし、私案として米側に提案したという。