17年前のあの日、日米首脳会議で… 沖縄サミット「普天間前進の機会」


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米国務省作成のメモ(山本章子氏提供)

 米軍普天間飛行場の県内移設を巡り、2000年の沖縄サミット前に沖縄の合意を得るため、米国務省が1999年5月3日に開かれた日米首脳会談で日本側に圧力を掛けるよう大統領に進言していたことがこのほど、分かった。米国務省がクリントン大統領に送ったメモで「サミットは、特に普天間飛行場移設を前に進める機会を提供する」とし、「この問題は今後2、3カ月が重要だと小渕氏(恵三首相)に伝え、結論に達することができるよう首相本人の関与を求める」としていた。

 首脳会談は沖縄サミット開催決定の4日後。米側がサミットを普天間移設の推進に最大限利用しようとしていたことがうかがえる。日本政府はその後、「年内決着」を求めて県や名護市に普天間移設の受け入れ圧力を強め、99年11月に稲嶺恵一知事が、12月に岸本建男名護市長が条件付きで辺野古移設を受け入れた。
 メモは沖縄国際大の山本章子非常勤講師(国際政治史)が、米国の安全保障関係文書を保存した米ジョージ・ワシントン大の「デジタル・セキュリティー・アーカイブ」から入手した。
 メモは「サミットと昨年11月の新知事(稲嶺氏)当選は沖縄の基地問題、特に普天間飛行場移設を前に進める機会を提供する」とし、クリントン氏への助言として「来年(サミット開催年)は世界が沖縄に注目する。同盟が非常に前向きな関係だと見せる必要がある」とし、普天間移設に関する沖縄の合意をサミット前に取り付けるよう、日本側に求めることを進言している。
 メモは99年4月29日のサミット開催決定に触れつつ、同年5月3日の日米首脳会談に向けた内容で、会談直前に作成されたものとみられる。(島袋良太)