「普通」って何?(上) 「強くなれ、心をだよ」 母へのカミングアウト


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 5月24日、那覇市のなは女性センターで、ある“勉強会”が開かれた。講師を務めたのは宮城春樹さん(43)=那覇市。宮城さんは生まれ持った身体は女性だが男性と自認するFTM(Female To Male=女性から男性へ)だ。40代になり、初めて公の場で自身について語った。彼の言葉から、身近にあって気付きにくい性の問題や「その人らしく生きる」大切さを考えてみたい。

公の場で初めて自らの半生を語る宮城春樹さん=5月24日、なは女性センター

 勉強会の会場は約30人の参加者で満席となった。「今日は私のプロセスをお話しします」。宮城さんは緊張の面持ちで語り始めた。

 那覇市に3人きょうだいの次女として生まれた。名前は「さとみ」。「そのうちオチンチンが生えてきて男の子になる」と思っていた。思春期の頃は恋バナ(恋愛話)が苦手で、同級生の輪から離れて廊下で1人過ごしたこともある。周囲はボーイッシュな女の子、ぐらいにしか見なかったが「自分は病気なんだろうか」と悩んだ。高校生になり、彼女ができた。直後に他校の男子生徒から告白され、彼氏もできた。でもお祭りで彼に手を握られた瞬間「気持ち悪い」と感じ、恋愛対象の揺らぎが消えた。

 高校卒業後は夢だった自動車整備士の道へ。皆が青い作業着の中、1人だけ真っ赤な作業着で働くのに耐えられず会社を辞め、その後も職を転々とした。心療内科も受診した。当時はまだ「性同一性障害」という言葉も知られておらず、長く「パニック障害」として治療を受けた。

 そして27歳のとき、母に打ち明けた。ホルモン注射の影響でひげが生え始めて声も変わり、もう隠せないと覚悟を決めた告白だったが、母の戸惑いは怒りとして返ってきた。「荷物を持って出ていけ。二度と門をまたぐな」

 だが、その半年後だ。母が突然電話をかけてきた。ただ一言、「てびちのおつゆ作り過ぎたから食べに来なさい」と。久しぶりの実家で夕飯を終えて帰る間際、母が静かに言った。「もう決めたんだよね。じゃあ強くなりなさい。力じゃない、心をだよ」。そして続けた。「あんたが幸せならお母さん幸せだから」

 母はそれから、名前変更や手術のことなど積極的に調べては情報をくれた。「理解はできなかったかもしれない。でも理解しようとしてくれる前向きな姿勢が力になった」と宮城さんは言う。カミングアウトするかしないかは、個人の自由だ。大事なのは、打ち明けたいと思ったとき覚悟なんか持たずとも口にできる環境。そして打ち明けられた側がどう応じるか、なのだろう。(大城周子)