社会

計画策定から13年、宙に浮くウフガー復元 字宜野湾郷友会 

戦前のウフガーを再現したジオラマを見て、当時の思い出を語る宮城正松さん(右から2人目)と郷友会役員ら=12日、宜野湾市宜野湾の字宜野湾郷友会

 米軍普天間飛行場内にあった集落の水源「ウフガー」を戦前の状態に戻そうと、字宜野湾郷友会がウフガー保存整備マスタープラン(基本計画)を策定している。策定したのは2003年4月。1996年のSACO(日米特別行動委員会)最終報告で、普天間飛行場の返還期限とされた年だ。戦前は産湯や正月の若水を取ったり、洗濯や水浴びに使ったりと、住民の憩いの場だったウフガー。「ウフガーは住民の命の泉。早期の返還を願うだけだ」。プラン策定から13年がたち、郷友会会員らはウフガー復元への願いを強くしている。

 基地内にある集落の水源ウフガーは産泉(ウブガー)とも呼ばれていたが、現在は基地整備などに伴う土砂の流入で埋もれている。

 計画は周辺環境の保全と再生を主眼にしたA案と、周辺を含めて整備、活用するB案があり、いずれもウフガーを戦前の状態に戻すことが柱だ。

 SACO最終報告を受け、普天間飛行場が返還されたら直ちにウフガーの復元に着手できるようにと願い、策定した。郷友会が住民への聞き取りや測量などで現況や戦前の様子を調べ、再現図やジオラマも作った。

 米軍は戦時中の45年4月から字宜野湾にあった宜野湾並松を伐採したり住宅を破壊したりして土地を接収し、飛行場を建設した。50年代までは基地の境界にフェンスはなく、米軍機の発着もほとんどなかったため、住民はウフガーに出入りできたという。

 郷友会会員によると、60年代に入って境界にフェンスが設置され、ウフガーへの出入りはできなくなった。現在は年に1度、ウフガーを清掃する伝統行事カーサレーの時に立ち入りが許可される。

 本土復帰やSACO最終報告の時には復元に期待が高まったが、いずれも期待に反して返還はうやむやになった。計画策定に協力した郷友会会員の中には、計画の実現を見ることなく亡くなった人もいる。郷友会会長の宮城政一さん(72)は「ウフガーは住民の命の泉。早期の返還を願うだけだ」と力を込めた。

 計画策定時の郷友会会長で、戦前の様子も知る宮城正松さん(81)は「基地の返還は終わりではなく始まりだ。ウフガーを復元しない限り、戦争の傷は治ったことにならない」と話し、基地の返還とウフガーの復元を強く願った。(稲福政俊)