<未来に伝える沖縄戦>両親亡くし戦災孤児に 宮城夢之さん(82)〈下〉


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家族との死別や戦後のつらい体験を語る宮城夢之さん=2日、南風原町内

 《1946年、戦後になってもつらく悲惨な日々が続きました。一緒にいた家族は父と9歳の妹がマラリアで亡くなり、宮城夢之(ヨシから改名)さん=当時12歳=と14歳の兄、6歳の妹のきょうだい3人だけになりました》

 父がマラリアにかかって3日で亡くなり、その1週間後には9歳の妹が亡くなりました。

 さらに1週間後、夜中に隣の部屋で寝ていた母が「お水をちょうだい」と言いました。水の入ったかめは庭にしかなく、真っ暗な中で外に出るのが怖くて断りました。朝、母に食べ物を手渡しますが反応がありません。母の目を開け、口元に顔を近づけ、息がないことが分かりました。

 死に水を求める母に水をあげられなかった私も、栄養失調とマラリアで起きることも立ち上がることもできません。母も亡くなり、もう死は怖くありませんでした。

 いとこの家を出て、畑の中のカミヤー(神屋)にきょうだい3人で暮らしました。兄はマラリアが少し良くなり、みんなで大工の手伝いでもらう芋10個が3人の1日の食事でした。ヨモギや薬草を食べ、そのまま3人とも、飢えで死んでいくのかと悲しい思いでした。

※続きは6月26日付紙面をご覧ください。

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