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「まさか沖縄に、こんな軍事施設があるとは」―。約50年前、共同通信記者だった横堀洋一さん(81)は米軍の案内の下、北部訓練場(当時は北部海兵隊訓練場)に設けられたゲリラ戦訓練施設・通称「ベトナム村」を取材した。斜面に突き刺さる無数の丸太。先端は鋭利にとがっていた。目前に広がる光景に「本当に驚いた」と繰り返しながら当時の様子を語った。
横堀さんは1959年8月、来沖した国際人権連盟のボールドウィン議長を取材するため初めて沖縄を訪問した。滞在期間を延長し伊江島にも渡り、本土からの記者として初めて現地で米軍の土地接収の実態を取材し記事を配信した。当時は共同通信の那覇支局が開設される前だった。
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60年から約1年間、米国に留学した横堀さんはまだ大統領候補だったケネディ氏と面会したり、国防総省を取材したりするなど人脈を築いた。帰国後、在日米軍の広報部に「沖縄のベトナム関連施設を取材したい」と依頼し認められた。
取材では米軍キャンプ・シュワブの宿泊施設を利用し、訓練場にはヘリで移動した。ベトナム村では戦闘訓練は行われていなかったという。案内役の軍人と打ち解け、写真撮影に特に制約は課されなかった。
60年代前半、ベトナム村での演習には地元住民が度々動員されており、高江に住む60代後半の男性は「参加すると食料がもらえるので大人に連れられて数回参加した。自分は子どもだったのでただ遊んでいるだけでよかった」と話した。当時の報道によると、山林への立ち入り禁止を恐れて協力を余儀なくされた住民が多かった。
県公文書館は、64年8月にワトソン高等弁務官がベトナム村を視察した際に米国民政府広報局が撮影した写真を公開している。住居の様態が横堀さんが撮影した写真と非常に似ており近接した場所だとみられるが、無数の鋭利な丸太は写っておらず、写真から受ける印象は大きく異なる。
高江は現在も訓練場に囲まれ、周囲ではヘリパッドの新設が進められている。横堀さんは「沖縄の基地の問題はいまだに続いており、沖縄が置かれている状況は基本的には50年前と変わっていない。全国の報道機関がもっと沖縄の問題を取り上げていかなければ」と話した。(安田衛)