国頭村の東海岸に位置する伊部集落。やんばるの自然の中にすっぽりと収まった集落は「やんばる国立公園」内にあり、人口よりもヤンバルクイナの生息数が多いと言われる。ここに集落で唯一の商業施設「伊部売店」がある。日用品や飲料などをそろえ、住民生活には欠かせない。客の中心は近隣住民や通りすがりの観光客で、客が10人やって来た日は、大繁盛だという。
店は名嘉山スミ子さん(87)と娘の由美子さん(66)の母娘で切り盛りしている。「お客さんよりもヤンバルクイナの方が多い」と笑う由美子さん。これまでに店の存続が危ぶまれることもあったが、地域や家族、店に愛着を持つ人たちに支えられ営業を続けている。かつて東京の経済誌に「『つぶれそうで、つぶれない店』として取り上げられたことがある。父と母の思い出が詰まった店。母が元気なうちは少しでも長く続けていきたい」と母娘で笑顔を浮かべる。
天然記念物たちに囲まれる
国頭村安田(あだ)の伊部(いぶ)集落。聖書のアダムとイブの物語になぞらえるほど、やんばるの自然に囲まれた理想郷のような静かな里だ。集落沿いの村道に面した伊部売店。夏場でも店内は心地良い風が吹き抜け、昭和にタイムスリップしたかような静かな時間だけが、ただただ流れる。店の前の村道はお客よりもヤンバルクイナの往来が多く、ノグチゲラのドラミングやクイナの鳴き声が、裏山にこだまする。
店は年中無休で営業時間は朝方から夕方暗くなるころまで。営業時間中は常時、客が来るまで無人の状態だ。玄関にある呼び鈴を鳴らすと、すぐ隣の住宅から名嘉山由美子さんが「はーい」と元気良く店に駆け込んでくる。無人でもトラブルからは縁遠く「スナック菓子を袋ごと万引しようとしたカラスがいたぐらい」と防犯対策はなんのその。訪れた客はカウンター越しに、会話を弾ませる。
父と母、そして娘へ
国頭村安田史誌によると、伊部売店は安田協同店の支店として1962年に開店。由美子さんの両親の正雄さんとスミ子さんが赤字続きだった店を90年代に買い取った。2年前、正雄さんが亡くなり、神戸から故郷に戻った娘の由美子さんが売り子、スミ子さんが主任として、店をもり立てている。「母は足を悪くして、店に立つことは減ったが、レジ打ちではまだ母にかなわない」と母娘で笑う。
店は存続の危機を迎えたことも。数年前、台風の暴風で屋根が飛ばされ半壊状態になったが、地域の有志や親族らの支援を受け、再建にこぎ着けた。名護市から牛乳2パックを納品しに来る業者や、隣の楚洲からバイクでわざわざ買い物に来る常連客など、店への愛着が深い人たちは少なくない。業者の男性は「いつも納品を楽しみにしてくれている。仕事のやりがいがある」と話す。
アナログで愛される店に
店一番の大型冷蔵庫は、常に扉が開いている。省エネと経費削減を兼ね、ショーケースとして重宝している。由美子さんは「電源入れたら電気代が売り上げを上回ってしまう」といつも前向きに明るい。
店の経営は決して順風満帆とは言えない。2人はボランティア状態で人件費はない。それでも由美子さんは「父との思い出が詰まった売店は、母の生きがいになっている。私自身はこの店を、どうこうしたいとは考えていない。両親がやってきた今まで通りどこまでもアナログで愛される店を続けていきたい」と汗を拭う。
(高辻浩之)