<「県外移設」という問い>2 金城馨(沖縄に基地を押しつけない市民の会)


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金城馨(沖縄に基地を押しつけない市民の会)

「基地集中」で分断/引き取りで対等な関係に

 1995年の少女乱暴事件が与えた衝撃は大きい。全ての基地をなくすという闘いの中で一向に基地を減らすことができず、また米軍の犯罪を防ぐことすらできない現実を、大阪(日本)にいる沖縄人として突き付けられた。「私はなぜこんな目に遭わなければならないのか」と苦しむ少女の沈黙の声が耳から離れなかった。その時、米軍の加害者への怒りだけでなく、ある種、共犯しているような恐怖と不安と苦しさが押し寄せ、「連帯」という言葉で日本人に迎合しているしかない沖縄人がいた。これは連帯ではない。

 しかし、その後も日本人は沖縄と「連帯しよう」と叫び続けた。「連帯できていなかったという事実を受け止めることから始めよう」という声は届かないまま、「連帯」は再び動き出した。そんな中、立ち止まった沖縄人を中心に「沖縄に基地を押しつけない市民の会」が結成された。「連帯する」のではなく「連帯とは何か」を考え続け、沖縄に基地を押し付けている日本(本土)側にいるという立ち位置をはっきりさせることに重点を置いて取り組んできた。

 その頃、沖縄で「普天間基地は県外へ」という声が上がり始めていた。その声は、沖縄でも本土でも拒絶されながらも、その両者の関係を揺り動かした。それは「沖縄に基地を押しつけない市民の会」としては共有できるものであった。あれから十数年、今、沖縄では「県外移設」が多くの人の共通認識になっている。そして、やっとこの3月から「大阪に基地を引き取る」という人たちが活動を始めた。

正しさの暴力

 沖縄人の「県外移設」の声に対する日本人の反応を見ると主なものは次の通りである。

 (1)沖縄の中で言っている分には仕方がない(沖縄だけに閉じ込める)(2)言ってはいるが本気ではない(もし本気だったらとんでもない)(3)県外移設とは違う考え方だ(だから議論しない)(4)本土に基地を押し付ける行為だ(1%の沖縄人が99%を支配できないのに)

 1950年代、日本各地に米軍の暴力に苦しむ人々がいた。そして、「どこにも基地はいらない。全ての基地をなくす」という主張が最も中心になる考えとして受け継がれてきた。その成果として日本における米軍基地は減少するが、沖縄に米軍基地が集中する状況を生み、沖縄の米軍基地の比率が増大した。

 この事実は、平和運動が正しさの暴力として機能していることを示す。政治において常に強い(大きい)方によって小さな正しさが押しつぶされてきたのではないか。普天間基地をなくすという沖縄人の願いは、「どこにも基地はいらない」という大きな目標の前には小さすぎて議論するに値しないものなのか。全ての基地がなくなるまで沖縄は我慢しなければならないのか。

差別する行為の主体

 オスプレイが強行配備された3年前、その圧倒的な暴力の強大さによって「普天間基地はなくならない」というイメージに支配されたとき、「普天間と名付けられた基地が沖縄にあるからなくならないのなら、沖縄でなければなくなるのでは」というイメージが生まれてくる。もともと日本で維持できなくなったため沖縄に移したのであれば、当然日本に移した方が基地はなくなる、ということになる。

 基地が沖縄に集中したのは国家の暴力によってである。しかし、それを維持しているのは国家の暴力だけではない。民衆は暴力を拒否することも受け入れることもする。日本の民衆は50年代、米軍基地の暴力を拒否した。そのため、日本各地にあった米軍基地は減少した。米軍基地はアメリカの暴力であるが、日本が同意しなければ存在できない。その同意が日米安保条約である。

 日本と沖縄の関係性を米軍基地問題から見るとき、「構造的差別」という言葉で説明することがある。その言葉によって差別する側の概念が曖昧化してしまい、ポジショナリティー(政治的立ち位置)がより不明確化してしまう。事実は、差別的構造が存在し、その構造を維持するための差別が継続されているということだ。言い換えれば、「構造的差別」は差別する行為の主体たる日本および日本人の存在によって成立しているのである。

 日本(本土)にあった基地はなくなっているのに、普天間基地は、なぜなくならないのか。普天間基地が沖縄にあるからなくならないのか。そこには沖縄に対する日本の暴力が見えてくる。沖縄人はそれを差別と感じている。沖縄における基地問題とは、日本および日本人による差別問題でもあることになる。沖縄(人)は日本(人)に差別をやめることを求めなければならない。

 「県外移設」とは、差別をやめろという沖縄人の声である。「基地引き取り」とは、差別をやめるという日本人の意思表明であり、応答である。「どこにも基地はいらない。全ての基地をなくす」という主張を掲げることで、県外移設という沖縄の声を無視するなら、日本の平和運動が沖縄に基地を押し付け、固定化する行為となる。

 国家による沖縄への基地集中政策によって沖縄人と日本人が分断されてきた。沖縄人の「県外移設」の声に対する日本人の基地引き取り表明は、両者の分断を崩し、対等な関係への出会い直しの始まりとなる。沖縄は、「連帯」も含め「日本の重力」に引っ張られてきた。今、沖縄は自立に向かうエネルギーを沖縄の内に求め、「沖縄の重力」によって動こうとしている。

(金城馨、沖縄に基地を押しつけない市民の会)

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 きんじょう・かおる 1953年、コザ市(現沖縄市)生まれ。54年に関西に移る。85年に関西沖縄文庫を設立、主宰している。