<「県外移設」という問い>4 ましこひでのり(中京大学教授)


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ましこひでのり(中京大学教授)

高橋哲哉「沖縄の米軍基地」を読んで〈下〉

「千倍濃縮」の基地集中/問われる「安全とは何か」

 米軍基地の移設はどこにも許さない。こうした反基地論に対し高橋哲哉さんは、この理想論も普天間飛行場など在沖米軍基地返還の阻害要因であり、在沖米軍の移転先を具体的に検討し、その後の国外への撤収を実現するのも日本人の責任だと提起します。親米保守が県外移設を拒むのは欺瞞(ぎまん)で、日本からの全面撤退をたてに県外移設に反対するリベラル層も無責任な偽善者だと。オスプレイ配備時も、岩国基地をはじめ強烈な反発が各地であがりました。

 

本土は攻められない?

 まず、在日米軍の常駐は日本の安全にとって不可欠と信じる層が抱えるだろう「用心棒」論に立っても、国土中わずか0・3%をしめるにすぎない2島(沖縄島・伊江島)に米軍専用基地の74%が集中している現状は、異様な事態です(筆者の試算では2島への集中は、「日本本土」の平均分布の千倍の「濃度」です)。2島に米軍基地を集中させるには、日本列島が攻められる可能性はほとんどなく、東シナ海は常に危機的、という地政学的判断が双方妥当でなければなりません。日本政府はそう判断しているのかもしれません。たとえば日本海沿岸に原発銀座が集中してきた経緯。きっと防衛省・外務省などが仮想敵国としてイメージしているだろう中朝ロ3国についても、本州などには絶対攻めてこないだろう。少なくとも爆撃や上陸などさせない、という自信があるのでしょう。

 しかし、日本全域防衛に米軍が不可欠と信じるなら、列島全域に万遍(まんべん)なく基地を分布させるのがリスク回避上自然です。列島全域のうち極端に南西に偏在した「千倍濃縮」状況を即刻解消せず、「日本本土への分散配備」論に転換しないのは実に異様な行動。安保支持層は「本州や九州などに中国や朝鮮が急襲を成功させることは不可能に近く、一方沖縄島以南は極めて危機的」と結論づけているはずの外務省・防衛省の具体的試算を是非(ぜひ)開示させてください。

 しかし森本敏・元防衛大臣が正直に指摘したとおり、米軍基地の偏在に合理的根拠など実際無いでしょう。現在の海兵隊は基本的に中東向け殴り込み部隊としての位置で、実は極東有事さえオマケです(移動も佐世保の海軍頼み)。

ホンネの合力

 安保擁護派があいまいに共有しているだろう、日本攻撃→在日米国民への攻撃→米軍との戦闘状態の誘発というシナリオ=いわゆる「トリップワイヤー」論。そして、いわゆる「NIMBY」論(自宅付近に迷惑施設は御免)による沖縄への米軍基地の押し付け。この日本人の大半が共有するホンネの合力こそ、現在の極端な偏在という現状を固定化する政治力学です。

 「日本周辺への攻撃は自国を戦場化する」。極東周辺での恐怖感をたてに北太平洋の覇権を握っている米国と、それにしがみつく日本の保守層。構造的な差別をうすうす自覚しつつも、踏み込んだ特集記事を組めない全国紙。幹部が政府からの圧力を感じて自主規制しているだろうテレビ局。景気回復だの年金問題だの「自分たちにとっての最優先課題」と比べて米軍基地問題など些細(ささい)な話題だと、病理を直視せず思考停止する選挙民たち。これら国内外の抑圧された利害の合力が「地政学的必然(宿命)」といった偽善・欺瞞を合理化しているだけと。

 ただ、米国政府が対中東対策の海兵隊を極東から撤退させていくなど、問題は今後激変していくでしょう。「米軍基地=トリップワイヤー死守」とする保守層。「太平洋戦争最大の犠牲のすえ獲得した不沈空母」といった戦利品意識を継承しているだろう米軍首脳部。これら妥協は残るかもしれません。それでも、米海兵隊は沖縄に地政学上不可欠、とする主張の基盤自体が溶解していくでしょう。まさか、「米軍基地の移設はどこにも許さない」論は、そういったアメリカ政府の方針転換を待ち焦がれる他力本願の「持久戦術」ではないでしょうね?

「宿題」への応答

 その意味で、大阪で浮上した「引き取る行動」は、沖縄からの「県外移設」論に呼応した責任の取り方として、当然の結論です。仮に自身が安保擁護論に立たぬ非武装中立論者であろうと、沖縄島/伊江島に異様に集中する不当・不公正な事態を改善するためには、(米国政府が撤退論に転じるまでは)県外以外に選択肢がないからです。現実的には既存の自衛隊基地など国有地を候補地にするほかないでしょう。そこで「これ以上の負担は無理」という現地の反発は不可避です。しかし調整過程での難航を理由に沖縄への負担軽減に即刻着手しないのは明白な差別です。

 個人的には1980年代末から琉球列島への植民地主義に言及し、2000年代からは再三日米両国による軍事植民地体制批判を繰り返してきましたが、実際事態改善に全く関与できませんでした。適性や戦略戦術はともかく、ロビイスト活動等に打って出なかったのは、県外移設論(それは一部の論者が主張するように、米軍全面撤収論が事実上直視をさけた「期限付き宿題」論です)に応答しなかった現実。国会や中央官庁に責任転嫁しても宿題への解答にはなりませんし、明確な目標を持ち得ていない以上「明白な差別」への消極的加担者というほかありません。今後展開しうる具体的戦術を思案しています。

 二つの提起を機に「米軍基地の移設はどこにも許さない」論の含意が県内外で問われねばなりません。その際「住民感情を無視し地域に不利益を押し付ける違憲状態。それにしがみつき続ける政府・選挙民とは一体何か」という法的・道義的責任、「日本の安全とは一体何か」という根源的問いこそ問題の本質です。冷戦構造の遺産でつづく植民地支配。「在沖米軍基地とは沖縄戦以来の差別の濃縮物で、沖縄は日米の二重植民地である」という経緯を直視しないまま議論に時間を割いても無意味です。
(ましこひでのり、中京大学教授)
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 1960年茨城県生まれ。中京大学国際教養学部教授(社会学)。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。著書に「知の政治経済学」「日本人という自画像」「ゴジラ論ノート」など。