<琉球・沖縄史から見た「県外移設」論>上 伊佐眞一


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1879(明治12)年の琉球併合に当たった琉球藩処分官。前列中央が松田道之内務大書記官(『琉球新報』2000年4月15日)

近似的文化が影響/直截に批判できない弱さ

 つい先月、キャンプ・シュワブ所属の海軍兵が婦女暴行で逮捕される事件があった。在沖米軍四軍調整官らの謝罪に対して、翁長雄志知事は「何十回、何百回もこういう形で抗議しているが、一向に良くならない。良き隣人と言う言葉が、実行された試しがないというのが、正直な気持ちだ」と相手の目を睨(にら)むように、強い口調で語ったと3月17日付の沖縄タイムスは報じていた。と同時に、外務省の沖縄担当大使も「沖縄県に迷惑をかけた」と、例によってヤマトのマスコミや世論と轡(くつわ)を並べるように、自国民が外国軍に陵辱されたとの意識はなく、いかにもアソコのことだから、まあいいかとも見まごうたるものであった。

 ここにいう「隣人」とは米軍統治の始まった戦後ずっと沖縄に居座り続けている米軍のことを指しているが、私のように長年、沖縄の近代以降の歴史や民衆の体験記録をほじくっている者からすると、その「隣人」とは沖縄戦のはるか以前から今日まで同居してきたヤマトでもあるのではないか、との思いを抑えることはできない。つまり、こうした平穏でない事件の中に、この約1世紀余に及ぶ両者の関係がみごとなまでに凝縮され、連綿と続いていることがはっきりと映し出されているという意味である。

文化的素地

 私たちがいま生活している沖縄には、いうまでもなくさまざまな政治・経済・社会的な問題がある。中でも米軍基地のそれはすでに戦後70年を超えるまでに立ち至っていて、この先、いったいいつまでこんな状態が続くのか、老齢の身はともかく、若い世代を考えると空恐ろしいとしか言いようがない。しかし、私はこの外国軍によるこれだけ長期の占領は、日本の戦後を起点にしては、とうてい問題の根幹をとらえることはできないと考える。

 琉球の亡国と日本の沖縄統治の開始は、圧倒的な武力をもとにしたものであったが、大規模な反乱や暴動がなく、沖縄支配がある意味順調に進行していったのは、支配者たちによる上からの一方的な教育など社会機構の改造だけでなく、沖縄とヤマトの間にある近似的な文化を、実にうまく利用したことにもよっていた。中国と日本、朝鮮と日本のようにはナイフでスパッと切り分けにくい関係性があって初めて、沖縄内部から徐々にヤマト賛美や同族意識、悪く言えば相手の顔色をうかがう迎合や卑下心が出てきたのであり、そうした文化的素地(そじ)が影響していたわけである。

 情けない次第ではあるけれども、それが近代日本に生きた沖縄人の弱さ・特徴といってもよい。しかし、こうした卑屈な自己を乗り越えるべく、小さく地道な歩みではあったけれども、それなりの営為をなしとげてきたのが、今日までのわが沖縄人の歴史と文化生活全般に対する学習でもあったはずである。

どん詰まり

 いくぶん前置きが長くなったが、仲里効氏の米軍基地の県外移設拒否の所論(1月20~22日付文化面)を読むと、沖縄の人間はその心体に「沖縄人」と「日本人」の二重性を持っていて、差別や抑圧を受けてきた一面と、他方で加害者としての側面が複雑に刻印されているとある。そして、それを克服するには沖縄の人間がみずからその「二重の植民地主義」を「内破」していくしかないのだという。

 小さい文化集団が大国に併合された国家内では世界のどこにでもある事例で、特に沖縄に限ったことではない。その点は殊更に異議をさし挟むこともないが、それがどうして、明治以降の歴史を批判・自省した地点に立つ現代の沖縄人が、ヤマトに向かって米軍基地の移設を直言してはならないのか、私には不思議でならない。

 むろん、その理由と説明はかなり難しい文章ではあるものの、それなりに書かれてはいる。同意し共感する点もないわけではないが、そこに明示された沖縄人像とその克服法では、この先もずっとどん詰まりの沖縄でしかないのではないかと思わざるを得ない。根が沖縄人であっても日本人の色彩を帯びていれば、いつまでも内面的にがんじがらめになって、ヤマトからの自立はおろか、自縄自縛でどうにも身動きのとれない宿命的なものになるからである。

 もしかしたらオレの半分は日本人かもしれないとか、「ダダ的吃音(きつおん)」を発するなど、いろんな型の沖縄人がいるのは事実だが、戦後このかた続いているヤマトによる基地の押しつけ集中化と、その奥底に流れる差別を直截(ちょくせつ)に批判できない沖縄人では、いくらもっともらしい思想を語ろうが、これから先の沖縄を切り拓くことはできない。げんにいまヤマトの責任で基地を引き取れと要求しているのは、沖縄人と日本人の境界が内外から「侵犯」されているとか、二重性うんぬんとか、また「沖縄人になる」などと頭の体操をしている者ではなく、われこそは沖縄人だと自覚し、誰はばかることなく公言するウチナーンチュである。

 沖縄人としての自信にみちたこの強いモノ言いをみていると、かつてヤマトゥンチューの前で萎縮して小さくなっていたひよわな人間のあまりに多すぎた沖縄の、暗くて陰鬱(いんうつ)な歴史が、よりいっそう浮き上がってくる思いがするのである。

(2016年4月26日 琉球新報掲載)

伊佐 眞一氏
 いさ・しんいち 1951年那覇市生まれ。沖縄近代現代史家。著書に「沖縄と日本(ヤマト)の間で 伊波普猷・帝大卒論への道」(琉球新報社、現在1巻のみ)、「謝花昇集」(みすず書房)など。