<琉球・沖縄史から見た「県外移設」論>下 伊佐眞一


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3万5千人が集まった昨年5月17日の「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」=沖縄セルラースタジアム那覇

思念凝縮した要求/自己変革踏み出す沖縄人

 県外移設を批判する仲里氏の所論は、「沖縄戦後思想史から問う」と銘打っている。その「思想の核心」は、「戦争の絶対否定」であり、国家と資本への取り込まれを警戒する論になっている。

 沖縄の戦後思想にとって沖縄戦が主要な位置を占めるのはいうまでもないが、しかし沖縄戦のとらえ方、教訓はいくつもあるのであって、それを理念にして実践するやり方もただひとつではない。そして戦後思想は沖縄戦をさかのぼる長い琉球・沖縄の歴史を踏まえなければ、実質的な意味をもたない。でないと、ヤマトの防波堤の材料にされた私たちの祖父母や父母たちと同じ轍(てつ)を踏むだろうというのが、私の基本的な考えである。もっとはっきり言えば、すでに死んでしまった者よりも、いま生きている私たちや子や孫たちのことが何よりも優先するのであって、「死者の声を聴く」のはいいとしても、それはあくまで私たちが死者にならないための二次的なものにすぎない。

行為主体は

 71年前に人も土地も徹底的に破壊し尽くされたうえに、その後今日まで私たちの周囲に拡(ひろ)がる広大な軍事基地のみならず、空域も海域も植民地のように勝手気ままに使用されていながら、当の相手にお前たちの責任でそれを引き取れとも言えない人間とはいったい何なのか。これらの基地は自然になったものではなく、強固かつ明確な意思をもって断行された結果なのである。

 それを端的に示すものが、1972年の施政権返還の直前にヤマトが行った公用地法の制定であり、それが地籍明確化法をへて駐留軍用地特措法↓その改定↓地方分権推進一括法にみられる、あからさまな日本の政府・国会・司法による沖縄への基地の封じ込めと絶対的固定化である。その行為主体が誰なのかを曖昧にして、そこを出発点にしない議論は、私にとってはただの屁(へ)理屈にすぎない。

 この厳然たる事実を含めて、長い琉球・沖縄史の観点に立つウチナーンチュのヤマト(人)への他者感覚は、「自分は沖縄人だ」との主体的自覚であって、それは決定的なものである。最近、世上を賑わしている「先住民族・人民」の論議も、明治国家による琉球の武力支配と、それに始まる近現代の植民地化の歴史を知るならば、国連の人権機関によるその定義と勧告内容はしごく当然なものであり、「自己決定権」の主張、さらには「独立」もこうした歴史認識が基盤になるのはいうまでもない。

責任の芽

 「死者の位相」と戦争の絶対否定はむろんのこと、暴力装置としての軍隊機構をなくしたい思いもそうだが、それはわざわざカントを持ち出すまでもなく永遠平和を追求するのに何ら異存はない。しかし、現実に8割の日本人が積極支持する安保が沖縄に何を強いているのか、ヤマトからの一方的で圧倒的な抑圧と死の恐怖にさらされていることを、いまのヤマトの人間はほとんど知りもしないし、関心もないだろう。仲里氏の示す「原理」はいったいヤマトの人間にどれだけの効果をもつものなのか。

 「安保をもって安保体制をなくすこと」はできないというが、かつての内灘闘争や砂川闘争の経験からすれば、ヤマトにも希望がないわけではない。人間は身に沁(し)みてこそ、ほんとうに考えて新たな行動に移るものだ。しかもこの米軍基地の問題には、歴史的に根深い沖縄差別が潜んでいる。「戦後思想の核心」は、それ自体が帝国化した軍隊組織の廃滅をいかほどに動かしうるのか、念仏ならまだしも、沖縄の歴史的体験とその「思想」に何の痛痒(つうよう)も感じないほとんどのヤマト人には実際的な効き目はゼロに等しい。

 県外移設が色川大吉氏などの歴史家からなされ(本紙2015年11月13日)、同時に市民による引き取り運動がヤマトでも出てくるようになった現在、沖縄のなかからヤマトへの移転は駄目だ、「安保の廃棄と軍事力の完全解消」が先でなければならぬというのは、ヤマトの側に生じつつある、米軍基地の沖縄偏在に対する責任の芽を摘み取ることにならないか。

県政の柱

 辺野古への新基地建設を強行する政権を眼前にして、その阻止を最大目標とすべきこの時期、ほんのわずかでもこの運動を弱めることはしたくないが、しかし、県外移設は自衛隊の全島的な配備、米軍の肩代わりと併せていずれ直面する問題になる。辺野古の海と陸で頑強に抵抗している者すべてが「沖縄の戦後思想の核心」だけを引き継いでいるわけではない。そこには当然にウチナーンチュ以外の人間も数多くいるし、個々人の思想の活(い)かし方も理想に向かう手順もさまざまである。県外移設の主張をもってただちに「戦争体験の風化」、「戦争に対する絶対的な否定感」の消失とみなす目取真俊氏の考えを、それがあたかも絶対であるかのように持ち出すなど、思い上がりも甚だしい。

 数年前に建白書で明記され、先の知事選挙でも公約となり、現県政の柱でもある普天間飛行場の県外移設は、一片の空疎なスローガンではない。4月12日のオール沖縄会議の集会ではこの文言がいつのまにか抜けてしまっているが、この要求にはこれまで鬱屈(うっくつ)した道を辿(たど)ってきた沖縄の思念が凝縮されているのであって、それは自己変革に踏み出した現代沖縄人の姿でもあるのだと私は考える。

(伊佐眞一、沖縄近現代史家)

(2016年4月28日 琉球新報掲載)