<「県外移設」の思想とは・仲里効氏の批判への応答>上 知念ウシ


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日本人自ら解決を/植民地主義やめること

1999年10月23日の県内移設反対県民大会で普天間基地の模型を入れたタライを頭にのせ「基地コ~ミソ~レ~」と呼びかける女性たち=宜野湾市海浜公園(兼城淳子撮影)

 仲里効さんが「沖縄戦後思想史から問う『県外移設』論」をお書きだ(本紙1月20~22日)。昨年6月に出版された高橋哲哉さんの『沖縄の米軍基地―「県外移設」を考える』をめぐって、本紙上でのやりとり(昨年9月8日、11月2、3日)を経ても「なお疑義は解消しなかったことからあらためて県外移設とそれを支持する論陣を張る高橋氏の見解を沖縄の戦後思想史の論脈から問い返していく必要性に迫られた」からだという。仲里さんはその論考で沖縄からの県外移設論とそれに応答しようとする日本(本土)からの基地引き取り論を(時々ごっちゃにしながら)批判している。

 それに対して、先月伊佐眞一さんもお書きだが(「琉球・沖縄史から見た『県外移設』論」4月26~28日)、私も2002年頃から「県外移設」を主張してきた者として、以下8点から仲里さんの批判に応答したいと思う。

■1、女性の姿

 まず、第1の違和感は、仲里さんの論考からは、県外移設/基地引き取りについて思索し行動してきた女性たちの姿が感じとれないことだ。

 「県外移設」の草の根からの提起は、1998年東京で宜野湾と名護の女性たちによるものであった。その後も根気強く呼びかけ続けてきたのはその宜野湾の女性グループ「カマドゥー小(ぐゎー)たちの集い」である。仲里さんが取り上げている「日本人よ、いまこそ基地を引き取れ」「沖縄の優しさと弱さ」という言葉もカマドゥー小が発したものである。

 そして、日本での引き取り運動も女性が重要な働きをしている。大阪の松本亜季さんも福岡の里村和歌子さんも沖縄の新聞に寄稿し「沖縄の米軍基地を大阪に引き取る」「まずは普天間飛行場を本土に引き取る」と表明している(松本、本紙、昨年8月20日、里村『沖縄タイムス』今年3月8日)。

 しかし、仲里さんは「基地を持ち帰れ―引き取る」を野村浩也さんと高橋哲哉さんの関係として二人の名前と書名をあげるが、これら女性を明示することはない。県外移設論を批判する際に、数多(あまた)あるシマクトゥバの中から私の単行本のタイトル(『シランフーナーの暴力』)と同じものを用いているが、私の名も書名もない。これでは、県外移設/基地引き取りをめぐる思想と運動が、野村/高橋という二人の男性大学教授と批評者仲里という、インテリ男性による男性中心的なホモソーシャルな三角関係として回収されてしまわないか。

 しかし、仲里さんも評価する1995年以降の「それまでの沖縄の抵抗の史脈を書き換えていく重層的な潮流」の形成には女性の貢献が無視できないはずだ。女性の人権問題として基地問題を捉え直したからこそ、暮らしに根ざした、より普遍的な問題として、沖縄各地の女性が前面に立って動き出した。県外移設要求運動もその成果である。ちなみに、仲里論考で唯一女性が描写されているのは、米兵性犯罪事件の被害者としての年若い女性であった。しかも2回。

■2、主観的意図

 第2に、私が関わってきた県外移設/引き取り論、すなわち、仲里さんが批評の対象としているものとは、沖縄へ基地負担を押し付ける植民地主義と差別をやめることがその趣旨である。そして、日米安保体制を自ら政治選択した日本(「本土」)に真っ向からそれを突きつけ、日本人自らが自らの問題を解決する、安保廃棄の道筋をつくろうとするものだ。基地を韓国やフィリピン、ハワイやグアム、さらには、宮古・八重山、伊江島、下地島などへ移設せよ、とは言っていない。

 それに対して仲里さんは「基地移設による負担平等」という言い方に集約し、「国家と資本のヘゲモニー」がそうする前に「主観的な意図を疎外」する表現を繰り返しているように見える。これは「印象操作」になってしまわないだろうか。

 仲里さんは、どのような「主観的意図」であれ、国家や資本に回収され、軍事再編に利用されるから、その予想される結果を記述したほうがよいとお考えかもしれない。しかしそうであるなら、仲里さんが評価する「独立論」や「自己決定権」も同様な危険性がある。私たちのするどんな抵抗も権力側は回収しようとするのだから。仲里さんが主張する「戦争器官を“いま”と“ここ”においてなくすこと」や、川満信一さんが1970年に「いまのところ」として書いたという「安保の廃棄と日本の軍事力の完全解消、産業及び経済の軍事的構造化を逆転」するというのも「主観的意図」である。「日本人の無意識の植民地主義」(野村浩也)を背景に国家と資本はそれを包摂し、軍事再編に利用してきたからこそ、沖縄に軍事基地はその後46年間も置かれ続け、日本(本土)から沖縄に移設され、いままた新基地が沖縄の島々に造られようとしているのではないか。

 包摂や回収に抗(あらが)うために必要なのは、「主観的意図」をしっかり受け止めること、言い続けること、私たちを取り巻く植民地主義などの構造を見抜くことであるのは言うまでもない。

知念ウシ(ちにん・うしぃ)
 1966年那覇市生まれ。むぬかちゃー(ライター)。著書に「シランフーナーの暴力」、共著に「沖縄、脱植民地への胎動」。