寄稿・憲法公布70年と沖縄 平和主義、人権、今も遠く 高良鉄美(琉球大学法科大学院教授)


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 日本国憲法が公布から70年を迎えた。琉球大学法科大学院教授で、県憲法普及協議会会長の高良鉄美氏は辺野古新基地建設や北部訓練場のヘリパッド建設を強行する日本政府に触れ、「沖縄は『平和主義』や『基本的人権の尊重』といった憲法の基本理念がないがしろにされている」と指摘する。

高良鉄美氏

 11月3日に公布された憲法の条文を、本土にいる沖縄人らが故郷に送った。米軍キャンプに収容されていた人々がその内容に衝撃を受けたという歴史が沖縄にはある。戦争を体験した縄の人々にとって、平和主義をうたった日本国憲法は「憧れ」でもあった。

 日本復帰までの25年間、日本国憲法は沖縄に適用されなかった。基地建設のため米軍に土地を奪われたが、憲法で保障されるはずの財産権はなかった。復帰後は国民年金法等を享受できるようになったとはいえ、現在においても辺野古新基地建設問題などの政府の強硬姿勢を鑑みると、憲法の「平和主義」がしっかり活用されているとは言い難い状況にある。

 日本政府が平和主義や基本的人権の尊重といった憲法の理念通りに沖縄を扱ってこなかったために、沖縄は復帰前と同じような負担を強いられている。今後、政府が改憲を進めるならば、沖縄が独立して「本来の日本国憲法」を活用していきたいという動きが出てくるかもしれない。

 そういう意味でも、憲法が制定された70年前をしっかりと振り返りたい。当時は、日本国憲法の誕生に全国が喜んでお祭りをしていた。当時の帝国議会ではこの憲法について賛否が分かれていたが、芦田均政権には「戦争に負けたからではなく、戦争という人類の根本的な問題に取り組むためにこの憲法をつくらなければならない」という明確なビジョンがあった。

 日本だけではなく、戦勝国のイギリスもソ連も戦争により瓦礫(がれき)だらけの街を生んでしまい、多くの人々が元の生活を失うことになった。当時の日本の政府や官僚たちは、この事実に目を向けて、時間をかけて審議を繰り返しながら日本国憲法がつくられたということを忘れてはならない。(憲法学)