<米大統領選と東アジア 日米同盟、基地はどうなるのか>2 金成浩


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相互依存の共同体を/日本の選択、地域関係左右

名護市の米軍キャンプ・シュワブゲート前で新基地建設に抗議する市民らを激励するヨハン・ガルトゥング氏=2015年8月

 今の東アジア国際関係は、複雑怪奇である。日中は尖閣問題で領有権争いをしているが、それでも日中は「戦略的パートナーシップ」関係にあると公言する。中国漁船と海上で衝突するかと思えば、中国からの観光客による「爆買い」は日本にとって歓迎である。
 また、日韓関係は、慰安婦問題や島の領有権問題によって関係が冷却化した。しかし、慰安婦問題の解決に向けた日韓の「和解・癒やし財団」は、改善の兆しのようにも見える。
 その一方で、韓国と中国の関係は、「対日本」という軸で足並みがそろっていたかにみえた。しかし、北朝鮮ミサイル迎撃のために韓国が米国製「THAAD(サード)」ミサイルを配備したことで、韓中関係は悪化した。この「THAAD」配備は米国による中国への牽制(けんせい)だと、中国側が米韓に反発したからだ。
 そうかと思えば、中国は北朝鮮の核やミサイル開発については好ましく思っておらず、かつての「唇歯相依」関係の片鱗(へんりん)はない。そして、日朝関係は拉致問題から国交交渉は停滞し、北朝鮮のミサイル発射に日本は危機感をつのらせる状態が続く。
 つまるところ、東アジアの国際関係は、関係改善へのプラスのベクトルとそれとは逆のマイナスのベクトルが複雑に混じり合っているのである。

全人類的利益
 主に1970年代に米国大統領補佐官を務め沖縄返還にも関わったH・キッシンジャーは、日本のこれからの方向性について、三つの選択肢を近著(『国際秩序』)で述べている。まず一つ目は、アメリカとの同盟に重点を置き続ける。二つ目は、中国の勃興(ぼっこう)に適応する。三つ目は、ますます国家主義的になる外交政策に依存する。
 そして、今述べた「三つのうちどれが支配的になるのか、それとも、三つを勘案した選択になるのかは、アメリカの公式な確約とは無縁に、グローバルな力の均衡を日本がどう計算し、基調をなす潮流をどう読み取るか、にかかっている」と主張する。彼の、「アメリカとは無縁に日本の選択次第でその方向性がかわる」という主張はわかるが、しかしこの三つの選択枝では、どれも、沖縄の基地問題を解決できない。であるから、もうひとつ選択枝を付け加えたい。「東アジア共同体」成立の可能性である。
 いや、そんなことは、「絵に描いた餅」なのだろうか。たびたび来沖もしているM・ゴルバチョフ(旧ソ連元大統領)という人物を思い出したい。彼の外交は、「新思考」外交と言われ、それまでのソ連外交とは一線を画すものであった。
 通常、外交は「国益」が優先される。しかし、ゴルバチョフは、「国益」よりも「全人類的利益」を優先すると言い放ち、そして、その通り、冷戦を終焉(しゅうえん)させた。さらには、ドイツ統一を促し、結果的には、EU(欧州連合)設立の条件を整えた。イギリスの離脱や難民の流入問題など、EUが直面する課題はあるものの、二度の世界大戦があったヨーロッパから戦争の炎を消したという意味では、EUの存在が平和へ多大なる貢献をしたことは言うでもない。
 東アジアでは冷戦終結による平和の配当にはまだありつけていないが、EUのような共同体創設のタイミングがなかったわけでない。ゴルバチョフ政権末期の1990年に韓国とソ連が国交を回復、そして92年には韓中間に国交が締結された。この時、日朝間では国交交渉は行われたものの、北朝鮮の核開発問題もあり交渉は暗礁に乗り上げた。それでも、98年には、韓国の金大中政権が「太陽政策」を実施し、2000年には北朝鮮と初の南北首脳会談にこぎつけた。また、韓国国内では98年に日本文化を開放、日韓は02年にはサッカーワールドカップを共催した。
 そしてこの関係改善の流れは、日本国内においては、「冬のソナタ」に端を発する韓流ブームと繋(つな)がった。09年に成立した鳩山政権は、「東アジア共同体」の創設を明確に指向したが実らなかった。今思えば、この時は、東アジア共同体創設に向けて一つの好機であった。

自信喪失の反作用
 1991年のソ連崩壊後、米国一極の世界秩序を模索してきたかに見える米国外交は、2001年からの対テロ戦争を経て、今は内向きになりかけている。アフガニスタンでの戦争は今も続き、いったん撤退したイラクでもISの台頭など民主化への展望が見えてこず砲火は今も続く。結局、オバマ政権は、13年に「米国は世界の警察官ではない」と表明した。
 今の米国大統領選挙におけるトランプ旋風(せんぷう)も、逆に米国の自信喪失の反作用でもあるのだろう。クリントン候補もオバマ政権の国務長官であったことを考えれば、オバマ政権が敷くレールからは大きく逸脱することはないだろう。トランプであれ、クリントンであれ、覇権後退の波に米国自身あらがうことはできそうにもない。この先、内向きの米国外交を受けて、東アジアの日本や韓国などの米国の同盟国は、どのような外交政策をとるべきか選択を迫られることになるだろう。
 国益がぶつかりあう今のような微妙な「バランス・オブ・パワー」による綱渡り的東アジア国際関係でいくのか、多少の軋轢(あつれき)はあったとしても「相互依存」の安定した東アジア共同体を目指すのか。キッシンジャーも指摘するように、「アメリカとは無縁に」日本の選択次第なのである。日本の舵(かじ)取りは、東アジアの運命を大きく左右する。

「できる」という意志
 綱渡りの日韓関係を尻目に、沖縄と韓国の関係は着実に発展してきた。今は、沖縄からソウルに週50便近くの旅客機が飛ぶ。10年前には週3便しかなかったことを思えば、雲泥の差である。
 昨年「琉球新報」等の招聘(しょうへい)で来日した平和学者のヨハン・ガルトゥングは、沖縄に東アジア共同体の本部を誘致し東アジアの平和に向けた潮流を作ることを提案した。彼は現実的に考えず、理想主義的と言われても「できる」という意志の重要性を強調していた。そのメッセージをもう一度思い出したい。
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金 成浩

 きむ・そんほ 1963年大阪市生まれ。琉球大学法文学部教授(国際関係史)。著書に『アフガン戦争の真実-米ソ冷戦下の小国の悲劇-』(NHKブックス、2002年)など。翻訳出版多数。