「魂の舞台」休館惜しむ 那覇市民会館・開館46年


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落成記念式典が開かれる那覇市民会館大ホール=1970年11月18日、那覇市民会館

 沖縄県民の「文化の殿堂」として親しまれた那覇市民会館が開館して18日で46年を迎えた。現在は老朽化や劣化で10月13日から無期限休館に入り、再開のめどはたっていない。落成記念の公演で舞台に立った玉城流玉扇会二代目家元の玉城秀子さん(74)は市民会館での演舞を振り返り「演者の魂の宿った舞台。休館はさみしい」と惜しんだ。

落成記念の公演に出演したことを振り返る玉城秀子さん=11日、那覇市楚辺

 市民会館の建設は、西銘順治市長が計画した。平良良松市長が引き継いで1970年に完成した。総工費は182万ドルだったが、16万ドルは県内外の機関、市民からの募金だった。固定席1510人の大ホールと800人の中ホール。舞台下でオーケストラが演奏するスペースのオケピットもあった。沖縄を代表する建築家・金城信吉氏による設計であることや、復帰記念式典を開いたホールとして建築的にも歴史的にも価値が高いとの呼び声が高い。

 当時、琉球新報ホールなどを利用していた玉城さんは、開館したばかりの舞台に立ち、その広さや客席の多さに驚いた。「広い舞台にわくわくした。夢と希望があふれていた」。40人による群舞「花」や「玉扇の舞」などは「市民会館があったからこそ芽生えた創作かもしれない」と話す。

 75年の二代目家元襲名公演が一番の思い出だ。満席の舞台で「じわじわと責任感がこみ上げた」と振り返る。時には閉館時間までに片付けが間に合わず、外にブルーシートを敷いて化粧を落とした思い出も。「劇場は日常の一部だった。楽しいこともつらいこともあった。舞台には演者の魂が宿っているはず」

 市民会館は10月13日から休館。今年中には補強工事の予算が判明し、年明け以降取り壊しか補修工事か市民も含めて検討する予定だ。

 「(市民会館の今後が)はっきり分かっていないのは不安」と玉城さん。現在は国立劇場を中心に活動しているが「演者にとって劇場は命。一時的でもないと困る。那覇市民会館が休館しているのはさみしいが、新しい会館が早くできてほしい」と語った。
(田吹遥子)