桃色 沖縄彩り半世紀 南米原産トックリキワタ 那覇新都心に元祖の株


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1964年に天野鉄夫さんがボリビアから持ち帰って種子から育てたトックリキワタ。半世紀を経てもなお、毎年花を咲かせている=15日、那覇市の新都心公園のおもろまち駅前広場

 澄んだ秋空に映える鮮やかな桃色の花。トックリキワタが開花の季節を迎え、本島各地の沿道を彩っている。南米原産のトックリキワタが沖縄に持ち込まれたのは1964年のこと。種子から育てられ、県内で初めて花を咲かせた元祖の株は、半世紀を経た今も那覇市の新都心公園で毎年きれいな花を咲かせ、人々の目を楽しませている。

 トックリキワタを県内に持ち込んだのは、植物学者の天野鉄夫さん(1985年死去、享年73)。64年に琉球政府の農林部代表としてボリビアの沖縄移住地を視察した際、当時、同地の診療所に出向していた医師で現・養秀園芸サークルの吉田朝啓代表にこの木の種5、6粒を託された。帰国後、天野さんが那覇市繁多川の自宅庭で大切に育てた株が挿し木、接ぎ木などを繰り返したことから全県的に広がったとされる。成木の幹の形がとっくり状になることから、天野さんが命名した。

 天野 鉄夫さん

 たっぷりの愛情を注がれて育った株は天野さん亡き後も毎年きれいな花を咲かせた。だが、枝が伸びすぎ、周辺家屋に被害を及ぼす恐れがあるとして2003年に伐採計画が持ち上がった。しかし、「後世にも残したい」という遺族の強い意向を受け、05年に新都心公園に移植され、現在は那覇市が「都市景観資源」として管理している。

 天野さんの次女で現在も繁多川の邸宅に住む仲本みどりさん(62)は「毎年この季節になると満開のトックリキワタを満足げに見詰める父の姿を思い出し、胸が熱くなる」と懐かしみ、「今でも近くを通るたびに『県民のために、これからもきれいなお花を咲かせてね』と話し掛けるんですよ」と目を細める。

 市は「大切な財産をもっと多くの方に見てもらえるように」と、現在はこの木を取り囲むような形でベンチを整備している。

 52年前に天野さんに種を託した吉田さんは、トックリキワタは南米の沖縄移住者との関係も深いことに触れ「国道や県道沿いにたくさん植え付け、『ボリビア移住記念街道』や『国際交流記念公園』などを創設して活用すれば、沖縄の地域特性がさらに強調されるはずだ」と話した。(当銘千絵)