親族通し「父」感じる 帰郷の比残留県人3人


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父・冨里樽二さんの米寿祝いの写真などを見る(左から)冨里サロメ・フミコさん、ハイメさん、カリダッド・カズコさん=2日、那覇市の沖縄都ホテル

 沖縄県出身の冨里樽二さん=1990年に死去=を父に持ち、1日に念願の初帰国を果たしたフィリピン残留日本人2世の冨里サロメ・フミコさん(78)、冨里ハイメさん(76)、冨里カリダッド・カズコさん(71)が2日、那覇市内のホテルで会見を開き、今の思いを語った。

 10月に日本国籍を回復した3人は「帰国は無理だと思っていた」「沖縄人として歩んでいきたい」と笑顔で語る一方、父親と再会できなかったことを、声を詰まらせながら悔いる場面もあった。

 ハイメさんは「たくさんの支援があって帰国できた」と感謝を述べた後「機会があれば沖縄に住んでみたい」と希望を語った。フミコさんは「やっと日本、そして沖縄にたどり着いた。沖縄人として歩んでいきたい」と笑みをこぼした。

 会見途中、3人の親族で樽二さんの最期をみとった嘉味田光子さん(67)が、樽二さんの米寿祝いの写真などを見せた。身を乗り出して写真に見入る3人に「病気一つしない、勤勉で優しい人だった。100歳まで生きた」と語り掛けると、カズコさんは驚いた様子で顔を上げた。「もう少し早ければ父に会えたかもしれない。父の面倒を見たり、子としての愛情を示せたかもしれない」と話し、表情を曇らせた。

 会見後3人は「家族としての時間を過ごしたかった」と声を小さくしたが、最後は「明日の墓参りでは、幸せな家庭をつくってくれたことへの感謝を伝えたい」と笑顔で語った。