沖縄戦、風化させない 千葉在住の桑形さん 記事縁に伊江訪問19年


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壕の中の骨つぼの説明を受けた桑形和宏さん(右)と島袋満英さん(右から2人目)、内間博昭さん(左)=5日、伊江村のアハシャガマ

 【伊江】約19年前に目にした新聞記事がきっかけになって毎年、伊江島に足を運んでいる人がいる。千葉県市川市在住の桑形和宏さん(55)がその人。当時、桑形さんは伊江島で壕(ごう)を巡る勉強会が開かれたという新聞記事の切り抜きを片手に、勉強会の講師を務めた住民の内間博昭さん(75)を訪ねた。以来、交友関係が深まり、家族ぐるみの付き合いが続いている。

 桑形さんは今回で来沖85回目。約25年前から県内で沖縄戦の遺骨や遺留品収集、関係者へ情報提供をするなどのボランティア活動を続け、伊江村内でも活動している。

 内間さんが伊江村商工会会長時代に講師を務めた壕探索の新聞記事に目を留めた桑形さんは、名前だけを頼りに内間さんを訪ねた。活動の趣旨を伝え、壕の場所を尋ねると親切にその場所を案内してくれたという。以来、来沖の際には伊江島まで足を延ばし、内間さん宅を訪れている。

 桑形さんが来島する際には妻の栄子さん(48)も同行する。

 内間さん夫妻は桑形さんを「島の人が、なかなかできないことをしてくれ、感謝している」と話し、桑形さんは「夫妻は心のよりどころ。訪ねたあの日、もし会えなければ今はない」と出会いを喜び、次回の来島を約束した。
(中川廣江通信員)

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ガマ訪問、骨つぼ確認

 【伊江】県内の壕(ごう)などで眠る人々の遺骨や遺留品収集などのボランティア活動に力を注いでいる桑形和宏さん(55)が5日、伊江村内にある「アハシャガマ」を訪れた。1945年、集団自決(強制集団死)があったことで知られる壕では、日本復帰前年の71年、村民の手で遺骨収集が行われた。しかし、骨つぼが残されていることから桑形さんは住民の島袋満英さん(80)と内間博昭さん(75)の2人から説明を受けた。

 桑形さんの活動は約25年前、当時沖縄県内に勤務していた父の勧めで1フィート運動の会の活動に参加したのがきっかけ。桑形さんは、2016年度県功労者・社会貢献部門表彰者の國吉勇氏を師と仰ぎ、250回以上行動を共にし「アハシャガマ」へも数回一緒に訪れている。

 桑形さんは「暗黒の壕の中にあるつぼの存在に長年疑問を抱いていた」と、内間さんに打ち明け、遺骨収集に尽力した元役場職員の島袋さんの説明を受けるため壕を訪れた。

 島袋さんは「太平洋戦争の1、2年前だったと思うが、日本軍は役場を通して各家庭のお墓の骨つぼを自分たちの責任で移動し、お墓を明け渡すように指示した。お墓は日本軍の陣地として、また弾薬倉庫としても使われた。(壕の中にある)骨つぼはお墓から移動されたまま引き取られなかったものだ」と説明した。桑形さんは「この活動は亡くなった人が誰にも気づかれないまま、埋まっているのはかわいそうだとの思いで続けている」と語った。
(中川廣江通信員)