<未来に伝える沖縄戦>爆弾破片 頬に刺さり 瑞慶山良光さん〈下〉


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 〈第2護郷隊として召集された瑞慶山良光さん(当時16歳)は1945年4月4日、恩納村前兼久に偵察に行き、黒人の米兵が30人ほど前から向かってくるのを見つけました〉

「戦争を起こさない国にしないといけない」と当時の悲惨さを思い出しながら話す瑞慶山良光さん=大宜味村上原区公民館

 木も草もない。隠れる場所もない。指の神経もなくなって、持ってた鉄砲も落っこちた。ガタガタ震えて、川の近くに水たまりがあったからそこに漬かって、帽子と鉄砲の先っぽだけ水から出した。自殺用の手りゅう弾をくわえて、米兵が撃ち始めたら自殺しようと覚悟したが、そのまま意識がなくなって気付いたら誰もいなくなっていた。

 〈死を覚悟し生き永らえたものの、4月7日には斬り込み隊として米軍の戦車を爆破するため米軍が駐屯していた恩納村万座毛に向かいました〉

 僕らは近くの畑の下水穴に待ち伏せて隠れていた。3人一組。一人は爆薬を背負う人。一人はマッチをつける人。一人は命令を出す人。全員吹っ飛んで死ぬと思っていた。

 でも、東村の青年が米軍の発電所を爆破して、辺りは真っ暗になった。目標物が見当付かない。これで斬り込みに行っても犬死にするだけだ、と攻撃中止命令が出た。斬り込み隊の任務は失敗に終わった。

※続きは1月29日付紙面をご覧ください。

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