悲劇繰り返さぬ誓い新たに 奄美大島に対馬丸慰霊碑


この記事を書いた人 松永 勝利
完成した対馬丸の慰霊碑を喜ぶ遺族や関係者=19日、奄美大島宇検村の船越海岸

 1944年8月に米潜水艦の魚雷攻撃で沈没した疎開船・対馬丸の慰霊碑「對馬丸慰霊之碑」の竣工(しゅんこう)式が19日、奄美大島宇検村の船越(ふのし)海岸で行われた。県内から遺族や生存者ら20人余が出席し、犠牲者のみ霊を慰め、二度と悲劇を繰り返さないことを誓った。多くの犠牲者が漂着した奄美大島に慰霊碑の建立されたことについて、関係者は「遺族が慰霊する場がようやくできた」と喜び「対馬丸を後世に伝える場にしてほしい」と願った。
 1944年8月21日、対馬丸は集団疎開の学童を含む疎開者1661人を含む1700人余りを乗せ、九州に向けて出港した。しかし翌22日午後10時すぎ、トカラ列島の悪石島沖で米潜水艦による魚雷攻撃で撃沈した。1482人余りが亡くなったとされる。
 多くの犠牲者が漂着した奄美大島では、各地で遺体が埋葬されたが、日本軍がかん口令を敷いたことにより、対馬丸事件は隠された。遺骨収集は事件から6年後の50年、遺族たちにより行われ、105体が沖縄に戻った。
 対馬丸の犠牲者をまつる慰霊碑は、那覇市若狭の「小桜の塔」と悪石島にある。しかし奄美大島には建立されていなかったため、これまで同島を訪問した遺族や生存者から「どこに向いて祈ったらいいか分からない」という声があった。
 宇検村の元田信有村長は「戦争の記憶を継承して、地域の平和教育に役立てる碑にしたい。体験された方々が高齢になる中、伝えていくことが私たちの使命だ」と話した。
 式典には浦崎唯昭副知事も出席し「二度と同じような悲しみが繰り返されないように、平和の発信地となることを願う」と述べた。【琉球新報電子版】