不戦 亡き友に誓う 県立第一中OB、全学徒の碑訪問


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「全学徒隊の碑」を初めて訪問した、元県立第一中学校の学徒でつくる「一中二〇会」のメンバーたち=29日、糸満市摩文仁の平和祈念公園

 1945年当時、県立第一中学校に在籍していた学徒たちでつくる「一中二〇会」の宮城政三郎会長(88)ら8人が29日、糸満市摩文仁の平和祈念公園に、今月除幕された「全学徒隊の碑」を初めて訪問した。教職員を含め307人が戦死したという、元一中生たちは、碑を前に「できて良かった。戦争を起こしてはいけないと伝えてほしい」と、戦争に駆り出され、若い命を失った級友たちに思いをはせた。

 3~5年の上級生は鉄血勤皇隊、2年生は通信隊として動員された。当時4年生だった与座章健さん(88)=南風原町=は、45年3月半ばから南風原の自宅を離れ、寄宿生活を始めた。26日、入隊への親の承諾をもらうよう、一時帰宅を命じられた。同時に同郷の下級生2人を連れてくるよう、令状を渡された。その2人は通信隊に入り、うち1人は戦死した。「その家は、父も兄も戦争で亡くなっていて、残された母親と妹に会わす顔がなかった」と振り返る。

 観光客が碑の前で足を止めるのを見詰め「碑を見ることで、戦争を起こしてはいけないと少しでも考えてほしい」と願った。

 通信隊に入隊した当時2年生の宮平盛彦さん(86)=西原町=は、沖縄戦の終結も、終戦も知らずに11月まで日本軍と共に壕に隠れた。捕虜になってから、両親と姉、妹が戦死し、一人残されたことを知った。毎年、6月23日の慰霊の日前に、平和の礎で家族の冥福を祈る。慰霊の日は、那覇市首里の「一中健児之塔」に向かう。「学徒隊の碑で慰霊祭のようなものを開いてくれたら」と望んだ。

 宮城会長は「学徒隊のことを伝える上で、碑の建立はありがたい」と話す。その上で「沖縄戦の実相を伝えるために、もっと碑を大きくし、戦死者数を掲示すべきだった。人数を伝えることで、これだけの若い命が亡くなったことを実感できるだろう。ぜひ戦死者数を刻んでほしい」と要望した。