社会

<沖縄戦後思想と実践の射程 高橋哲哉氏に答える>上 仲里効

生活思想から見抜く
抑圧、複数国家による共犯

 高橋哲哉氏の「いまこそ県外移設を」に対し、昨年1月に応答した拙論「沖縄戦後思想から問う『県外移設論』」に、10カ月の間をおいて「県外移設論の射程」で返してきた。高橋氏のこの論考は主に日米安保体制と戦争の絶対否定との関係からなされた私への反論である。そのことに応える前に、文末で1枚の写真をめぐって、為(ため)にする議論としか言いようがない事例から考えてみたい。

写真と言葉に落差


歌う嘉手苅林昌

 1枚の写真とは、「日本人よ! 今こそ、沖縄の基地を引き取れ」と大書した横断幕の写真である。雑誌『DAYS JAPAN』(2014年7月号)で組まれた沖縄特集の第2章〈沖縄の戦後〉の章頭と私が書いた「日本による『排除』の歴史」の後半部に挿入されているもので、「県外移設」要求について一言も触れていないことが高橋氏には大いに不満のようだ。

 この〈沖縄の戦後〉は国吉和夫氏の写真と私の文からなる。国吉氏の写真は問題の1枚を含め、復帰前後の激動を伝える8枚が掲載されている。高橋氏は私が知念ウシ氏への応答で「カマドゥー小の集い」を批判した個所とからめて、その前と後で「仲里氏の文章を読む人は、この写真に写る『基地引き取り』要求を『沖縄の戦後』を象徴するものとして、少なくともその一コマとして受け取るだろう」とか「映像批評家の仲里氏にとってもおろそかにはできないはずだ。なぜ仲里氏は、自ら最大級の否定辞をもって批判する運動の写真を、『沖縄の戦後』を語る文章の中心に置くことができるのか。不可解である」と。「写真の構成は国吉氏によるかもしれないが」と留保はしているものの、拙文の論旨を無視した一方的な決めつけの印象しか与えない。

 まず、言っておきたいのは、「映像批評家の仲里氏」とわざわざいわくを付け問詰する以上、少なくとも映像と言語の〈あいだ〉に思考をめぐらす慎重さが欲しいものである。問われているのは、写真の明示的な記号に対し文が応えていない、まさにそのことだが、それ以上に問われるのはその読みである。

 はっきりさせておこう。国吉氏は自立した写真家であり、その写真は必ずしも言葉による説明を要求されるものでもない。事実、見開き2ページ、1ページ、半ページを割いたインパクトのある写真は、私の文を補うコマになってはいないし、逆もまたそうである。

 問題の1枚にしても割り付け上は「文章の中心」に置かれているが、〈論旨の中心〉が対応しているわけではない。写真家は写真によって、言葉の人は言葉によって試されるのが筋というものだろう。むしろ私には写真と言葉の関係を、直線を引いて疑わない物言いこそ驚きであり、不可解である。

 どうやら高橋氏には使われている写真に言葉が相即していなければならない、という確たる命法があるようだ。だが、報道写真をめぐるこの手の断言命法は、すでに1960年の名取(洋之助)-東松(照明)論争において考え抜かれていることぐらいは知っておくべきではないか。文と写真が対応関係を持たず、私の論が「県外移設」に一言も触れられていないこと、その落差にこそ答えのすべてはあるはずだ。ここでの高橋氏の命法は、しかし、形を変えて「基地引き取り-県外移設論」においても貫かれていると思わせるほど根強いものがあるようだ。

嘉手苅ウシの歌

 ちなみに『DAYS JAPAN』での拙論は、沖縄の戦後を代表する島唄の唄者・嘉手苅林昌の琉球処分後没落していく琉球士族の哀れを歌った「廃藩ぬさむれぇ」や中国と日本とアメリカの狭間で翻弄(ほんろう)されめまぐるしく変わっていく世相を歌った「時代の流れ」、そして林昌の母ウシの琉歌を通して沖縄の民衆意識と沖縄の例外状態を考察したものである。

 嘉手苅ウシは72年の「日本復帰」の年に「あたらワがウチナ シナムンぬタトゥい/トゥたいトゥらったい カミにマカち/シムぬあてぃカミや ナリタちゅるたみし/シムぬねんカミぬ ぬうヤクタちゅが」(大意は、何てこったわが沖縄、まるで品物のように、敗戦でアメリカにくれてやったり取り戻したり、おかみ〔国〕のやつらに勝手にされて、沖縄はウチナーンチュの島なのに……)という琉歌を詠んでいた。「復帰」という名の国家併合の権力政治が庶民の生活思想の底点から見事に見抜かれていた。

 嘉手苅ウシ・林昌母子の歌にサバルタン(従属)化された民衆が時代の大勢とそれへ順応していく流れを、笑い、撃つ、潜勢力と批判力を読み取ることができるだろう。ここから言えることは、沖縄戦と米軍占領と日本復帰が民衆にとっては終わらない抑圧であったということや沖縄を弄(もてあそ)ぶ恣意(しい)的権力が一者ではなく二者もしくは三者の複数の国家が共犯しつつ絡み合っていることに意識的であることである。

 沖縄の戦後思想と実践は、こうした嘉手苅ウシ・林昌母子の歌に込められている歴史意識の潜勢力を資源として汲(く)み取っていることを何度でも確認しておきたい。(映像批評家)

(2017年3月20日 琉球新報掲載)



仲里 効 氏

 なかざと・いさお 1947年南大東島生まれ。映像批評家。「越境広場」編集委員。主な著書に「悲しき亜言語帯」(未來社)、「フォトネシア」(同)、「眼は巡歴する」(同)など。