社会
在沖米軍基地の県外移設を巡る議論

<沖縄戦後思想と実践の射程 高橋哲哉氏に答える>下 仲里効

国民主義に還元せず
政治経験の掘り起こしを

 目取真俊氏の掌編「希望」が発表されたのは1999年である。「三名の米兵が少女を強姦(ごうかん)した事件に、8万余の人が集まりながら何ひとつできなかった茶番」という独白からも分かるように、島ぐるみのうねりが結局少女の凌辱(りょうじょく)を招いた構造を変えることができなかったという“絶望”を身を裂くようにして突きつけた。「ある時突然、不安に怯(おび)え続けた小さな生物の体液が毒に変わる」テロルへの転身、その転身の動態は二重である。アメリカ人の幼児を殺害し、殺した自分を殺す。だが、この否定の否定は肯定へ反転するわけではない。8万余の人が集まった海浜公園の広場で自らに火を放ち「煙を噴いている黒い塊」となって中学生のグループに交互に蹴られるだけである。

自らを焼く「否定」


米軍属女性殺人遺棄事件の遺体発見現場近くに設けられた献花台=2016年10月

 掌編「希望」は、「日本人よ」と告発する手前で沖縄自身の責任をひりつくような否定の毒によって抉(えぐ)り出した。そういった意味で95年と今に至る沖縄の状況を不断に問い返す、本質的な意味で“政治”なのだ。この場所から拙論のなかで、暴力装置としての基地(と軍隊)を本土に「持ち帰れ-引き取る」ことによって目指される「負担平等」の陥穽(かんせい)への批判との関係で指摘した「国家と資本のヘゲモニーの内に連れ込まれていく」もまた試されている。

 しかしそれは高橋哲哉氏が過剰に反応した意味でではない。あろうことか、高橋氏は「資本主義の揚棄」や「国家なき共産主義社会」まで拡大し、それが「実現しない限り、沖縄は基地なき島に戻ってはいけないのか、本当にそれが沖縄の多くの人びとの願いなのか」と難じる。明らかに飛躍である。なぜなら国家と資本への批判は多様な幅と質をもってなされてきたし、私見もまた反復する構造批判として言及されているはずだ。

 そして私たちは骨の髄で知るだろう。「希望」のラストの「煙を噴いている黒い塊」からの問いかけが、昨年20歳の女性が元海兵隊員の軍属に強姦され、殺され、捨てられた事件によって20年の時を越えて突き刺さってくることを。死者の無念に釣り合うものがあるとすれば、それは否定の否定によって自らを焼いた「黒い塊」と6・19県民大会に寄せた父親の「被害者の無念は、計り知れない悲しみ、苦しみ、怒りとなっていくのです(…)次の被害者を出さないためにも、『全基地撤去』『辺野古新基地に反対』(…)」というメッセージだけである。亡き娘の魂を拾うように届けられた声は、この土地の地霊を呼び起こし、はるかに嘉手苅ウシの琉歌と重なる。

復帰後責任を潜る

 沖縄の戦後思想と実践の射程は、〈日本〉の一者を帰属先にして差別解消を図ることを問い、糺(ただ)す。新川明氏がオール沖縄を実現させた「建白書」のなかに「祖国日本」の文字と「古来琉球から息づく歴史、文化を継承しつつも、また私たちは日本の一員としてこの国の発展を共に願ってもきた」という一行に「わが目を疑い」いまも根強く残る〈復帰思想〉をきびしく批判したのも、沖縄の思想と政治の要締にかかわるからである。植民地主義と共犯した戦争責任や戦後責任や復帰後責任を潜(くぐ)らない差別解消や平等は虚妄である。

 日米共同の軍事要塞(ようさい)化が進む今、沖縄にとって必要なことは、同化=国民主義には還元されなかった政治経験を掘り起こし、発見し直していくことではないか。

 たとえば全軍労の闘い。圧倒的な基地権力と布令・布告政治によって、労働三権を奪われたまま、剥(む)き出しの生の状態から自力で権利を克(か)ち取り、日本復帰に伴う基地機能の再編合理化による大量首切りの嵐のなか、戦争へ加担する自らの労働の場そのものを否定し、そのことによってベトナム解放闘争の森や地下と沖縄で繋(つな)がった。

 たとえば国政参加拒否闘争。日米共同声明路線(沖縄の共同管理体制への移行)をそれまで禁じていた日本国政選挙を実現させ、沖縄代表の出席のもとに認めさせていく併合と数の政治への加担に公然とノンを突きつけた。

 「安保が必要ならば」という仮言命法によって基地の負担平等を求める運動に、復帰運動が陥った盲点の形を変えた反復を読み、「国家と資本のヘゲモニーの内に連れ込まれていく」ことを警戒し批判するのは、そのような思想と実践の射程を汲(く)むからである。

声と関係を分有

 そしてそこから木霊してくる声を私たちはたしかに聴き取った。「辺野古から博治さんへ」(2月7日付沖縄タイムス社説)である。三つの罪で不当に拘留され、病を抱えたうえ家族も接見できない異常な状態におかれている山城博治さんへ宛てた手紙形式の社説だが、このような言葉が論説空間で紡がれたことに心の底から救われる。ゲート前で座り込む市民と拘置所に囚(とら)われている身で分かち合われているものこそ「沖縄の戦中・戦後の歴史体験」であり、「わたしらは侮辱のなかに生きています」(中野重治)という歴史の声であった。

 高橋氏が問う「在沖基地撤去の道の構想」や「戦争の絶対否定の理念」とは、大胆につづめて言えば、そのような声と関係の分有において生きられている。けっして“国家”を歌うことはない、非暴力直接行動と市民的不服従、自立と共生の思想が出会う場、そこは沖縄と本土をそれぞれ均制化した「全体」と見る、基地を「持ち帰れ-引き取る」共同性の内に連れ込まれるわけはない。(映像批評家)

(2017年3月22日 琉球新報掲載)