嘉手納で降下訓練 米軍、中止要求を無視


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米軍嘉手納基地にパラシュートで降下する兵員=24日午前7時51分、嘉手納町役場屋上から(諸見里真利撮影)

 【中部】米空軍と米陸軍は24日午前7時50分ごろから午前9時20分ごろまで、米軍嘉手納基地でパラシュート降下訓練を実施した。30人の兵員が高度約3千メートル上空で嘉手納基地所属のMC130特殊作戦機から、5回にわたって3~8人ずつパラシュートで降下した。物資の投下はなかった。23日夜に県や周辺自治体に訓練実施の通知があり、県と嘉手納町は中止を求めていたが米軍は訓練を強行した。嘉手納基地でのパラシュート訓練は2011年以来。

 嘉手納基地がある嘉手納町の當山宏町長らは「訓練の度に中止を求めているが、今回も米軍の都合が優先された」と反発した。沖縄市、嘉手納町、北谷町で構成する「嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会」(三連協)の職員は降下訓練をニライ消防本部、道の駅かでな、嘉手納町役場屋上で目視調査し、25日に沖縄防衛局に抗議することを決めた。

 嘉手納町議会基地対策特別委員会は訓練を受けて緊急の委員会を開き、抗議決議案と意見書案を決定した。

 嘉手納基地の第18航空団は取材に対し、訓練した理由について「気象や海の状況により伊江島補助飛行場での訓練が実施できない恐れがあった」と説明した。

 沖縄防衛局は取材に対し「隊員の降下資格維持のため近日中に訓練を実施する必要があり、必要な機材を確保できる日程が限られていることから嘉手納基地で実施したと米側から聞いている」とした。

 パラシュート訓練をめぐっては、読谷村で1965年にパラシュートで投下されたトレーラーに小学5年の女児が押しつぶされて死亡した事件があった。96年のSACO合意で、読谷補助飛行場から伊江島補助飛行場に移転することで合意している。