「琉球人」は護佐丸子孫 豊見城親方、明治撮影か


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宮内庁書陵部所蔵の「琉球人」の写真。中央が豊見城親方盛綱

 宮内庁が所蔵する「琉球人」と題された写真に写っている男性5人のうち一人が、15世紀の琉球の武将・護佐丸の子孫・毛氏(もううじ)の一人、豊見城親方盛綱(とみぐすくうぇーかたせいこう)(1829~1893年)であることが分かった。法政大学沖縄文化研究所国内研究員の上里隆史さん(40)がこのほど特定した。

「琉球見聞録」に掲載されている豊見城親方盛綱の写真

 上里さんは「人物を特定できると、その時代の装束や町の状況、主従関係などが見える可能性が出てくる。これまで漠然と見ていた戦前の写真が、歴史資料として使えるようになる」と人物特定の意義を述べた。

 写真の撮影時期は定かでないが、1887(明治20)年11月から12月に、伊藤博文一行が沖縄を訪れた際の撮影と推測されている。これまで写真の人物の名前は明らかになっていなかった。

 上里さんは中城村教育委員会主催の毛氏を紹介する企画展に携わる中で、近代沖縄の重要な歴史資料である「琉球見聞録」(喜舎場朝賢著、初版1914年)に掲載されている豊見城親方盛綱の写真を見て、「琉球人」の写真の真ん中の人物と似ていることに気が付いた。パソコンで画像のデータを重ねたところ、ぴったりと一致。豊見城家の本家にも確認し、同一人物と特定した。

 毛氏は、琉球王国の行政で中枢を担う役職に就く人物を多数輩出した。豊見城親方盛綱は踊りと馬術に優れた教養人で、楽童子(がくどうじ)として江戸上りで活躍した。「琉球処分」後に県の行政顧問となり、開明派のリーダーの一人として、岸本賀昌、高嶺朝教(ともに衆議院議員)ら次世代の沖縄を牽(けん)引する人物らに大きな影響を与えた。

 豊見城親方盛綱の写真パネルは、3日から6月4日まで、中城村の護佐丸歴史資料図書館で開かれる企画展「護佐丸の血を受け継ぐ者~毛氏子孫の物語」で公開する。

 同企画展では、豊見城親方盛綱や、とんちで知られるモーイ親方(伊野波親方盛平(いのはうぇーかたせいへい))ら毛氏10人を紹介。人物を通して琉球史を知ることができる。入場無料。問い合わせは同図書館(電話)098(895)5302。(与那覇裕子)