日本復帰あす45年 沖縄県経済、浮沈越え


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 1972年の復帰から15日で45年の節目を迎える。本土との経済格差の是正を宿願に、企業や個人が生み出したモノやサービスの価値を金額で表した県内総生産(実質、支出側)は、復帰時に6057億円だったのが2014年度には4兆1749億円と約6・9倍も拡大した。本土資本が自由に参入してくることへの不安が覆う中で復帰を迎え、海洋博景気とその後の不況、バブル経済やリーマンショック、近年の外国人観光客の急増などの浮き沈みを経ながら、沖縄経済は今、台頭するアジアと日本の懸け橋として存在感を増す新たな局面を迎える。45年の変化を振り返る。

◆宿泊施設数 観光好調受け5.8倍

 1972年当時、県内の宿泊施設は284軒あったが、県の統計では最新となる2015年に1664軒あり、約5・8倍に増えた。入域観光客はこの間56万人から876万人となり、基幹産業である観光の好調さに合わせ、施設数も増加を続ける。

 75年の海洋博覧会を機に、施設数は774軒に急増した。80年代後半には、総合保養地域整備法によるリゾートブームで、ホテルを中心に開業が相次ぐ。90年代は航空運賃や旅行商品の低価格化で観光客が急増し、大型ホテル、民宿が増加した。

 2000年代は米中枢同時テロや東日本大震災の影響を受けた落ち込みはあったものの、06年には施設数が千の大台に達し、07年には累計観光客数が1億人を突破した。中国人観光客の数次ビザ発給が始まった11年以降は5年で約300軒と急増している。

◆農業産出額 果実伸び キビ・パイン後退

 農業産出額は復帰翌年の1973年の451億円から2015年度には935億円へ倍増した。復帰後、かんがい施設や農道などの生産基盤の整備が進み、野菜、花卉(かき)、果樹、肉用牛など温暖な気候を生かして多様な品目が展開されている。

 分類別では果実が73年の27億円から15年には57億円へ伸びた。マンゴーの伸びが著しく、近年はパイナップルの生産量を上回る状態が続いている。

 キクを中心とした花卉の栽培も80年代以降急速に伸び、15年の産出額は107億円となった。トルコギキョウなど品目の多角化に向けた取り組みも進む。

 復帰時に農業産出額の3分の1近くを占めたサトウキビは85年に374億円まで伸びたものの、農家の高齢化が進み15年には162億円に減った。

 果実に含まれるパイナップルも、90年の缶詰の輸入自由化を受け73年の26億円から15年には14億円に減った。

◆建設業者数 06年以降右肩下がり

 復帰後の沖縄振興開発計画で、海洋博や県内主要5島の一周道路事業、ダム建設など大型公共事業が次々と生じた。本土業者は復帰と同時に県内に相次いで進出し、沖縄総合事務局など国の出先をはじめ各行政機関に営業攻勢を展開した。1972年の県内就業者数は36万4千人で、うち建設業は4万3千人、全産業の11・8%を占めた。

 建設業許可登録業者数は72年の2282社から、ピーク時の2000年の5640社まで増え続けた。00年の建設業就業者数は過去最多の7万8千人に達した。

 しかし、05年に県が発注した土木建築工事の入札で談合が起きた影響で、06年以降の建設業者数は右肩下がりとなっている。

 一方、12年から観光客の増加に伴い、サービス業を中心とした就業者数が好調に伸び、15年の全産業就業者数は過去最高の66万4千人を記録した。

◆企業倒産数 バブル崩壊経て最少

 東京商工リサーチ沖縄支店のまとめによると、県内の企業倒産件数は建設業の連鎖倒産が目立った1984年に最多の332件となった。その後は好景気を背景に倒産数は100件台まで減少した。しかしバブル崩壊で企業倒産が増加。92年には312件まで跳ね上がり、大型倒産(負債総額10億円以上)と大口倒産(同1億円以上10億円未満)が最多となり、負債額も過去最大となった。

 観光客の増加や好調な景気に支えられて、2004年以降の倒産件数は2桁で推移している。16年には統計を始めた1975年以降、件数・負債額ともに過去最少となった。県内景気は好調を維持すると見られ、同支店は「倒産が減少する時代に入っている」と分析している。