北谷の土器、作ったのは北陸・中部出身者


この記事を書いた人 志良堂 仁
北谷町の平安山原B遺跡で出土した大洞系A1式土器を基にしたと思われる土器

 【北谷】北谷町伊平の平安山原B遺跡で発見された大洞系土器の破片とみられた土器が、東北地方の亀ケ岡文化の大洞A1式をモデルに北陸・中部出身者が縄文晩期(約2500年前)に西日本で制作したものだと分かった。青森県の弘前大学人文社会科学部の関根達人教授と弘前大大学院・理工学研究科の柴正敏教授が18日、北谷町役場で会見し発表した。

 北谷の土器片は、2009年から翌年にかけて調査が行われた平安山原B遺跡で発見され、大洞系土器の可能性が高いとみられていた。弘前大の関根達人教授らが3月上旬に土器片を調査し、土器の形や文様から大洞系土器を基に作られたものだと判明した。

会見する弘前大の関根達人教授(右端)と柴正敏教授(右から2番目)、北谷町教育委員会関係者ら=19日午前10時50分、北谷町役場

 関根教授の調査後、柴教授が土器片の原材料となる土の組成分析を行った結果、鹿児島県の薩摩半島から南に約50キロの大隅海峡にある鬼界カルデラが約7300年前に噴火した際に噴出した鬼界アカホヤ火山の火山ガラスを含むことが分かり、今回の発表に至った。

 関根教授は「縄文時代に北海道から沖縄まで人の移動があり、同様の土器を欲しがる同じ価値観があったことが分かる。翁考古学者と地質学者が協力して、具体的な土器の制作背景と流れを明らかにした考古学会にとって大きな発見だ」と顔を上気させた。今後関根教授らは、町教育委員会から平安山原B遺跡や伊礼原遺跡から発見された縄文前期から晩期の土器片15点の組成分析を行う。

 北谷町役場は今回の発見を受け23日から29日まで、町役場1階で亀ケ岡式土器に関する企画展を開く。【琉球新報電子版】