原点は宮古島 ボクシング 比嘉にもう一人の師匠


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 【宮古島】5月に世界ボクシング評議会(WBC)フライ級タイトルを奪取した比嘉大吾=浦添市出身=は、ボクシングを始めた宮古島市を「第二の故郷」と公言する。比嘉の恩師は市内のラーメン屋店主の傍ら、宮古工業高校で指導する知念健次監督(54)だ。打ち合いを好むファイタースタイルでスーパーウエルター級の日本ランカーにまでなった経歴を持つ。知念監督の現役時代を知る人は、比嘉のスタイルを「健次のボクシング」と称する。観客を魅了する比嘉の好戦的なスタイルは知念監督譲りだ。世界王者の原点は宮古島にあった。(梅田正覚)

熱心にスパーリング指導をする知念健次さん(中央)=2日、宮古工業高校

 比嘉は先に同市に住んでいた父と暮らしながら宮古工高に通った。練習は過酷だった。大会前には知念監督のラーメン屋に部員が寝泊まりする合宿が行われた。朝4時半に起床し15キロ以上を走った後、さらに砂浜も走るロードワークが日課だ。練習がきつく退部を申し出る生徒も出る中で唯一、弱音を吐かなかったのが比嘉だった。

 知念監督は「故郷から離れているから頑張らないといけないとの思いがあったと思う。宮古の人間には『アララガマ精神』(不屈の精神)がある。大吾もそれが身に付いたのだろう」と強調する。

 比嘉の高校での最高成績は全国大会のベスト8だ。知念監督は当初から比嘉はアマチュアボクシング向きではないとみていた。アマでは倒すことよりもパンチを的確に当てることが重視される。「大吾はプロ向きだった。具志堅用高さんも言っていたが、昔の沖縄のボクシングだ。技術はないが、がむしゃらに前に行く昔の沖縄のボクサーだ」

高校時代、最後の全国大会に出発する直前の比嘉大吾(左から2人目)と知念健次監督(中央)=2013年、宮古空港(知念さん提供)

 比嘉は高校卒業後、プロになりわずか3年で世界戦に挑む。試合前日の5月19日午後4時ごろ、計量を終えた比嘉から知念監督の携帯電話にメッセージが届いた。「アララガマ魂で絶対世界チャンピオンになってきます。監督のボクシングを世界に見せてきます」。その言葉通り、偉業を成し遂げた比嘉は11日、王者になって初めて宮古島に凱旋(がいせん)する。

 知念監督は「前に会った時は『絶対世界王者のベルトを持ってくる』と言っていた。たぶん抱き締めるかな」とまな弟子との再会が待ち遠しい。「まずは初防衛戦でしっかり守り、将来的には統一王者を目指してほしい。具志堅さんを抜くくらい防衛記録を重ねてほしい」と期待を懸けた。