屋嘉収容所跡で追悼演奏 捕虜つくった「屋嘉節」響かせる


社会
この記事を書いた人 松永 勝利
石碑前で「屋嘉節」を演奏する参加者ら=23日正午すぎ、金武町の屋嘉捕虜収容所跡

 【金武】沖縄戦で多くの日本兵が収容された金武町の屋嘉捕虜収容所跡地に建つ石碑前で23日、琉球古典音楽野村流音楽協会石川支部の吉野久一師範(69)と門下生ら人が追悼演奏した。追悼演奏は昨年から慰霊の日に合わせて行われている。
 披露された民謡は「無情節」の曲調で歌われた「屋嘉節」を含む民謡7曲と舞踊2曲。「屋嘉節」は収容所にいる捕虜によって作詞されたといわれている。収容所には当時、日本兵約7千人が収容され、236人が収容所で命を落とした。そのうち56人の名字が沖縄にある名字だったという。また約3千人がハワイ州オアフ島へ移送され、12人が命を落とした。
 正午を知らせる時報が鳴ると、追悼演奏のために石碑前に集まった参加者らは1分間の黙とうをささげ、追悼演奏をした。
 屋嘉区の伊芸菊博区長は「戦時中や戦後に何が起こっていたのかを後世に伝えることは大切だ。今後も追悼演奏を続けたい」と話した。
 追悼演奏の発案者である吉野さんは「何もない収容所の中で、日本兵がカンカラ三線を手に取り、できあがったのが無情節の曲調で歌われた『屋嘉節』だった」と説明した。「当時の人がどのような気持ちでこの歌を作ったのか、考えながら演奏した」と話した。吉野さんは「屋嘉節」を演奏するときだけは、自ら作ったカンカラ三線をつま弾いた。
 演奏した前田健次町議は収容所跡に慰霊碑がないことに触れた上で「多くの人が犠牲になった場所に慰霊碑がないことはおかしい」と慰霊碑設置の必要性を説いた。【琉球新報電子版】