ウリミバエ根絶成功の故伊藤さん、教え子が伝記発行 やんばる保護も訴え


社会
この記事を書いた人 大森 茂夫
「伊藤先生の個人史は生態学の歴史記録でもある」と語る「生態学者・伊藤嘉昭伝」編集者の辻和希さん=西原町の琉球大

 沖縄県内のウリミバエ根絶を成功させた世界的な生態学者、故伊藤嘉昭さんをしのび、教え子や元同僚など国内外の57人が寄稿した「生態学者・伊藤嘉昭伝 もっとも基礎的なことがもっとも役に立つ」が3月、海游舎(東京都)から出版された。伊藤さんは「基礎を学んでこそ応用もできる」と言い続けて生態学の最先端を切り開くと同時に、農薬を使わない害虫根絶を成功させ、沖縄の自然保護も訴えた。編集を務めた教え子で琉球大農学部教授の辻和希さんは「沖縄への愛情も深かった。あらためて功績を知ってほしい」と呼び掛けた。

 伊藤さんは東京都出身で、2015年に85歳で亡くなった。戦後間もない1950年から務めた農林省(現・農林水産省)農業術研究所で、殺虫剤を大量に使う食料増産に疑問を持った。動物がどのように子孫を増やすのか、他の生物とどのような「食う・食われる」関係にあるのかといった生態学の研究を進め、繁殖能力のない不妊虫を人工的に増やして放すという「逆の発想」による害虫防除の研究を進めた。

 この知見を求められ、復帰直後の72年、県農業試験場に招かれてウリミバエ根絶防除事業に着手した。米軍統治下で不十分だった施設を整え、力のあるスタッフを全国から集めた。後輩たちの知識を深め、議論や論文発表など研究者としての能力を育てるための研究会を開き、根絶に向けた過程は随時、研究論文として世に出した。

 根絶は77年に久米島、93年には弟子たちが県全域で成し遂げ、ゴーヤーやマンゴーが県外出荷できるようになった。「伊藤伝」には「伊藤さんが研究と研究者の成長を最も重視したことが根絶事業の成功を導いた」との記述も寄せられた。93~98年には沖縄大教授を務め、やんばるの生物多様性の保護を訴えた。

 辻さんは「関係者から『沖縄に銅像を』との声も出るほどの人。根絶事業から20年以上がたち、知る人も減ってきたのが残念だ」と嘆き、功績を書き残す意義を語った。