琉球王国第二尚氏第18代の尚育王が薩摩藩士に宛てた書状がこのほど広島県で見つかった。1844年にフランス船アルクメーヌ号が来琉した後に薩摩藩が派遣した警衛部隊を率いた二階堂右八郎宛で、折紙(おりがみ)という形態。法政大学沖縄文化研究所国内研究員の上里隆史さんが20日までに明らかにした。
所有者は薩摩藩士を先祖に持つ56歳の男性で、代々伝わる古文書の中から最近見つけた。上里さんが、花押などが他の書状と一致すると確認したところ、所有者から「沖縄で研究に役立ててほしい」と公開を依頼された。現在、警衛部隊と所有者の祖先の関わりなどを調べている。
尚育王は最後の王尚泰の父親。薩摩藩主(太守)島津斉興らの名前を挙げた形式的な儀礼の文言があり、警衛部隊への年始の贈り物に添えた書状である可能性が高い。縦41・2センチ、横50・0センチで、最後に「正月十一日 中山王 尚育」と書かれ、花押がある。黒嶋敏東京大学史料編纂(へんさん)所准教授は「国王と藩士という身分的な関係から、全文、祐筆(書記官)の筆によるものではないか」と指摘している。
1844年3月に来琉したアルクメーヌ号は貿易、キリスト教布教などを要求したが、琉球王府が拒絶したため、強引に宣教師フォルカードらを残して去り、46年に別の2隻が再訪し、1年半にわたって琉球と交渉した。書状はこの間に書かれたとみられる。
上里さんは「このような現場レベルに出されたものが見つかるのは珍しい。薩摩藩の旧家にこのような文書がもっと残っている可能性がある」と話している。