「兵学一体」克明に 県師範学校史料 校長遺族が発見


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野田貞雄氏の遺族が保管していた沖縄師範学校の男子部と女子部の文書や沖縄師範学校奮闘戦記など=28日、糸満市伊原のひめゆり平和祈念資料館

 【糸満】沖縄戦直前の1944年の沖縄師範学校の男子部と女子部の教育内容や国防訓練、勤労作業などの詳細が分かる史料がこのほど、確認された。沖縄師範学校校長で鉄血勤皇隊を引率した野田貞雄氏の遺族が今年5月に東京都内で発見し、6月23日に糸満市のひめゆり平和祈念資料館に持参した。ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳副館長は「体験者の証言が裏付けられた。とても貴重な史料だ」と話す。ひめゆり平和祈念資料館では来月1日から11月末まで展示する。

 持参された史料は、表に「沖縄師範学校男子部」(38ページ)「沖縄師範学校女子部」(28ページ)と書かれた文書や、「沖縄戦闘下ニ於ケル沖縄師範学校状況報告」、野田氏が家族に宛てた手紙やはがきなど14点。

 「男子部」の文書には、「兵学一体の見地に立ちて決戦防衛態勢を強化す」と目標が書かれている。軍施設工事は、43年度に12日間、延べ3601人だったが、44年度には131日間、延べ2万1600人にまで増えている。また、グライダーや自動車、短艇などの訓練も記されている。

 「女子部」の文書では、「漢文補修班」や「先哲古典研究班」などの学芸研修が、44年には「乳幼児の保育国民衛生に関する研修」「戦時救護に関する研修」に変わっている。

 同史料は、県公文書館や県立図書館にもないという。

 野田氏の孫・謙二さん(61)=東京都=は「戦前の沖縄が分かる貴重な史料なので、ぜひ今後に役立ててほしい」と話した。