世界遺産登録へ 南山城の謎解明 糸満で研究会発足


社会
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伊敷賢さん(左端)の話に熱心に耳を傾ける参加者=7月21日、糸満市糸満の市生涯学習センター

 【糸満】南山城跡の世界遺産登録を目指す勉強会「南山の歴史研究会」が7月21日、糸満市生涯学習センターで発足した。研究会の代表を務める琉球歴史伝承研究所代表の伊敷賢さん(67)=糸満市=が南山の全体像について解説した。市内外の歴史愛好家ら約20人が参加し、熱心に耳を傾けた。研究会では今後、月2回の勉強会を開催して南山城にまつわる地域の伝承や集落に伝わる祭事の由来などを調査・研究し、冊子にまとめる予定だ。

 伊敷さんは中学生の頃、高嶺村役場(当時)が発行した「大正4年 南山の歴史」という資料と出合い、歴史に興味を持つようになった。約50年にわたり、県内各地で語り継がれてきた琉球の歴史を約千人に聞き取り調査した。南山城については謎が多く、学術的にも解明が進んでいないという。

 伊敷さんは南山城跡で今も年3回、ウマチーが行われていることを挙げ「生きた歴史だと思うが、南山王の面影を見せる物がない。行政を含めて南山城祭をできないか。南山城跡を世界遺産にする意気込みがあってもいい」と語った。

 南山最後の王、他魯毎(たるまい)が中山王尚巴志の持つ金屏風と湧水・嘉手志川を交換し、南山が滅んだといわれることについては「記録と伝承を突き合わせたら、当時、嘉手志川は存在しない。南山の真実、他魯毎が優秀な王だったことを証明したい」と強調した。