痛みを「自分ごと」に 「原爆の図」と人つなぐ[平和どう伝えるか 広島・長崎から]6


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 埼玉県東松山市の川のほとりに立つ原爆の図丸木美術館。今年50周年を迎えたこの美術館では、丸木位里・丸木俊夫妻の描いた《原爆の図》の連作を常設展示している。

◇語り

原爆の図丸木美術館で、「原爆の図」を鑑賞する高校生=埼玉県の原爆の図丸木美術館

 丸木美術館には、年間を通して、多くの学生が平和学習にやってくる。夏休みになると、バスツアーの団体や、宿題を抱えた中高生、親子連れの家族客などで賑(にぎ)わう。《原爆の図》の前で、絵の説明をする機会も多い。

 指先から垂れ下がる皮膚を引きずりながら歩く人びと。燃え上がる炎の中で天を仰ぎ、悶(もだ)え苦しむ人びと。水を求めて川に逃げこみ、息絶える人びと――高さ1・8メートル、幅7・2メートルの大画面に、等身大に描かれた被爆者の群像。

 丸木夫妻は、1950年代、占領下に絵を背負って全国で巡回展を行い、原爆の惨禍を人びとに伝えた。幾度となく絵の前で「語り」が行われ、現在、私が行う説明も、基本的には、ずっと継承されてきた「語り」の内容をふまえている。

 とはいえ、既存の言葉をなぞるだけでは、人の心に届かない。絵を観(み)ることで、どう平和を考えることができるのか。そもそも、平和とは何なのか。過去の惨禍を記憶する意味とは何なのか。語るたびに、まず自分自身に問うことになる。

 映画監督のジャン・ユンカーマンは、「広島と長崎にも行ったが、《原爆の図》を見て、被爆の本当の姿を初めて見たと感じた」と語った。描かれているのは、キノコ雲ではなく、その下にいた生身の人間だ。原爆によって、広島だけで十数万人が命を奪われたというが、数字ではないひとりひとりの顔を想像することで、私たちは「他人ごと」ではなく、その痛みを「自分ごと」にひきつけていく。描かれているのは人間だけではない。犬、猫、馬、牛、ニワトリ、そして竹やヒマワリ……。《原爆の図》は、実は「命の絵画」なのだ。

◇それぞれの戦争

岡村 幸宣

 現代を生きる若者たちにも、それぞれの抱えている「戦争」がある。「3・11」後の現在をつなげて観る人もいるし、紛争地の被害を想起する人もいる。今も世界に拡散されている核の脅威を思う人もいれば、これから生まれてくる新しい命を思う人もいる。日常の暮らしの中で直面している自身の悲しみや苦しみを重ねる人もいる。

 100人いれば、100通りの《原爆の図》がある。彼らが、自分の《原爆の図》を見つけ出し、現実の問題を乗り越えていけるように。絵と人をつなぐ立場の学芸員としては、その手助けをしたいと切実に思う。

 丸木夫妻自身も、絵の前で人びととの対話を繰り返しながら、「暴力」の本質について考え続けた。戦争では、自分たちが傷ついているだけではなく、他者も傷つけている。戦争がない時代にも、「暴力」に直面している人たちはいる。公害や基地問題、原発事故、貧困、目に見えない差別や偏見といった「暴力」もある。

 人は自分の痛みには敏感になるが、他者の痛みを感じることは難しい。社会の不均衡の恩恵を受ける側の人間は、それに気づく機会さえ少ないだろう。しかし、命の重みに自分と他者の違いはない。国や民族の違いで重さが変わるものでもない。自分の命はもちろん、かけがえのない「宝」だ。そして、決して解(わか)り合うことができないかもしれない他者の命も、同じようにかけがえのない「宝」である。たとえ矛盾や葛藤に直面することがあったとしても、そこからすべてを出発させたい。

◇同じ時間共有

 今年もまた、夏が巡ってきた。丸木美術館には、ボランティアが各地から集まってくる。初めて参加する若者も多い。「平和」を学びたいという目的ばかりではない。友人や恋人、家族に誘われたり、アートが好きだったり、賑(にぎ)やかなことが好きだったり、美味(おい)しいビールを飲みたかったり、ただ面白そうなことを探していたり。

 8月6日の「ひろしま忌」には、美術館が大勢の来館者であふれる。講演やコンサートが行われ、それを楽しみに遠くから訪ねてくる人も多い。出店が並び、地場産の新鮮な料理を楽しむ人もいる。バルーンアートで遊ぶ子もいるし、川遊びや、カブトムシをとるのが楽しみな子もいる。

 きっかけは何でもいい。誰が職員で、誰がボランティア・スタッフで、誰が一般の来館者かも、どうでもいい。年齢や社会的地位などの肩書はすべて脱ぎ捨てて、同じひとつの命として、同じ場所で、同じ時間を共有したい。

 夕暮れになれば、とうろう流し。隣の川に下りて行き、それぞれ自作のとうろうに火を灯(とも)し、川に流す。子どもたちの賑やかな歓声が聞こえる。笑顔で見送る人がいる。手を合わせて祈る人もいる。今は川遊びが楽しい子どもたちも、いつか、なぜ川で灯ろうを流したのか、その意味に気づく日が来ればいい。

 下流では水着に着替えた若者たちが、流れてきた灯ろうを回収する。勢い余って、泳ぎはじめる者もいる。それも、またよし。それぞれ、好きなやり方で、この瞬間を記憶に刻めばいい。

 空を見上げれば、一番星が輝く。今年も無事に終わったと、安堵(あんど)と疲労に包まれる一瞬。ここに「平和の文化」が根づいていると、実感する。

(岡村幸宣)

 

◇   ◇

 おかむら・ゆきのり 1974年東京生まれ。原爆の図丸木美術館学芸員。主に丸木位里・俊夫妻の画業を研究。著書に「非核芸術案内」、「《原爆の図》全国巡回」、「《原爆の図》のある美術館」。

 

 

 戦後72年がたち、沖縄戦体験者が減少していく中、体験していない世代が今後、戦争の悲惨さや平和の大切さについてどう伝えていくかが課題となっている。

 同様の課題を持つ被爆地の広島、長崎で被爆者の体験継承や平和活動に取り組んでいる識者らに、若い世代への継承の取り組みと課題、工夫している点などについて執筆してもらった。