眠る遺骨に思い寄せ 首里高生の仲村さん 両立学ぶ


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
開発前の那覇市真嘉比地区の地図を広げ、遺骨が見つかった場所について具志堅隆松さん(右)に質問する仲村一起さん=19日、那覇市泊のガマフヤー事務所

 沖縄戦で熾烈(しれつ)な地上戦の末、多くの命が奪われた沖縄で、都市開発はいかに進められるべきなのか-。沖縄特有の問題について知見を深めようと、首里高校3年の仲村一起さんは19日、長年、民間戦没者の遺骨収集活動を続けるボランティア団体「ガマフヤー」の具志堅隆松代表と面談し、話を聞いた。

 仲村さんは沖縄が守るべき文化や歴史、環境を踏まえた都市計画の在り方を学びたいと、琉球大工学部社会基盤デザインコースへの入学を目指し勉学に励んでいる。10歳の時に母親が勤める保育園で開かれた具志堅さんの平和教育講演の中で、十分な遺骨収集作業が行われないまま進められた真嘉比古島第2土地区画整理事業の実態を知り、衝撃を受けた。そのことをきっかけに「漠然と都市計画の在り方に興味を持った」という。

 具志堅さんは戦時中、激戦が繰り広げられ、今もなお無数の遺骨が眠るまま開発が進められた真嘉比地区や新都心のことや、那覇市や県、国に遺骨収集作業の必要性を訴えてきたが実現しなかったことなどを説明。「たとえ悲しい歴史でも、不戦を誓う決意として、沖縄戦の証拠は後世へ残すべきだ」と訴えた。同じく激戦地跡地で、急速に開発が進められている浦添市前田地区が二の舞いとならないよう現在、周辺に広がる壕の保存運動に力を入れていることも明かした。

 仲村さんは「具志堅さんの平和や、未来の子どもたちを思う気持ちに感銘を受けた」と語り、あらためて土地開発の本来の目的を熟考した。「辺野古の埋め立てや泡瀬干潟の開発も『自然という沖縄の財産』を自らの手で壊している点では同じだ」と指摘する。その上で「未来に誇れる街を造りたい」と将来の理想像を見据えた。