400人、鎮魂の祈り 対馬丸撃沈から73年


この記事を書いた人 平良 正
焼香する対馬丸の生存者や遺族、関係者ら=22日正午すぎ、那覇市の小桜の塔(具志堅千恵子撮影)

 疎開学童や一般疎開者を乗せた「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈されて73年となる22日、対馬丸慰霊祭が那覇市若狭の小桜の塔で執り行われた。生存者や遺族ら約400人が参列し、犠牲者を追悼し「戦争を繰り返さない」と誓った。

 家族9人を失った対馬丸記念会の高良政勝理事長は「戦争を知らない世代が全人口の8割を超えると言われている。今こそ戦争の実像を伝えなければならない。平和創造の発信拠点としての役割を果たしていきたい」と継承への決意を述べた。

 対馬丸事件で犠牲になった子どもの在籍していた小学校の児童などでつくる「つしま丸児童合唱団」は「小桜の塔のうた」などを歌った。

 対馬丸の遭難者が多く漂着した鹿児島県奄美大島宇検村の元田信有村長は宇検区の川渕昌春区長と共に初めて参列。「戦争を二度と繰り返すさないように沖縄と奄美のさらなる交流を深め、力を合わせて取り組んでいく」と述べた。宇検村では3月に慰霊碑を建立、26日に慰霊祭が行われる。

 母ときょうだい5人で対馬丸に乗り、1人生き残った宜志富紹心さん(84)=西原町=は、21日に鹿児島県悪石島近海で手を合わせ、22日は小桜の塔の慰霊祭に参列。「昨日は奄美、今日はここ。草陰から見守っていてと祈ったよ」と話した。

 対馬丸は1944年8月21日、那覇港から長崎に向け出港。翌22日午後10時12分、米潜水艦の魚雷攻撃を受け、同23分に撃沈された。疎開学童784人を含む1482人(氏名判明分)が犠牲になった。