儀志布島に琉球王朝の伝承 屋形跡、敗走の王避難か


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
渡嘉敷村儀志布島の琉球王朝時代屋形跡「ヤフンチャーギ」の骨組みと案内者の新里武光さん=14日

 【渡嘉敷】渡嘉敷島の最北端から北東に約200メートル離れた無人島「儀志布(ぎしっぷ)島」(面積約0・50平方キロメートル、標高113メートル)の中央付近の海岸近くに「ウチシル」と呼ばれる洞穴がある。琉球王朝時代に「ヤフンチャーギ」(イヌマキの最上の用材)という木で造られた屋形があり、屋根部分の骨組みが現在も残っている。

 案内してくれた渡嘉敷の新里武光さん(81)によると、洞穴には1940年ごろまでは多数の遺骨があったという。伝承によると、そこにまつられているのは、どこかの王様か按司で、戦から避難して儀志布島で亡くなったという。按司たちを「ウチシル」の岩屋にまつったのは、この時島にやってきた家来たちではないかと伝えられている。

 また、近くの岩場の雑木林には当時の物とみられる琉球瓦の残骸もある。渡嘉敷の長老たちは、ウチシルの屋形にかかわる伝説として、按司夫妻らと儀志布島に住む「中丹慶良間(チュウータンギラマー)」の悲話を伝えている。

 新里さんは「戦前には屋形の骨組みが全部残っていた。ヤフンチャーギは腐れずに現在まで組み合わされた状態で残っており、琉球王朝時代の建築技術に驚く。当時のロマンがよみがえるようだ」と感嘆していた。(米田英明通信員)