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米軍艦船の残骸今も 渡嘉敷島南東海岸 特攻で座礁、船底沈む

 【渡嘉敷】沖縄戦当時の1945年7月、日本軍の戦闘機の攻撃を受け渡嘉敷島沖で座礁した米軍艦船(2千トン級)の残骸が、今も渡嘉敷島南東の「タキヌミジ」(滝の水)海岸の「アカマタチジャン」(赤間立山)と呼ばれる場所の水深約7~10メートルに沈んでいる。サンゴ礁のリーフの割れ目に乗り上げ、その後米軍によって破壊された艦船の船底の骨組みや壁板の一部、配線や爆弾とみられる筒2個が水中で確認できる。

 今年7月に仲間と現場の海に潜って戦艦残骸を確認した渡嘉敷村の新里武光さん(81)が情報を寄せ、当時の様子を証言した。

 慶良間諸島では1945年3月23日から米艦船が島を包囲し攻撃が開始された。当時8歳だった新里さんによると、同7月12日ごろ、「スギヤマ」と呼ばれる場所に避難中、母に連れられアラリ海岸に行くと、沖合で日本軍のゼロ戦に攻撃された沈没寸前の米軍艦船が島の岸に向けて進み、座礁したという。その後、別の米軍艦船が近づいてきて、座礁した艦船にダイナマイトを仕掛けて爆破したという。

 新里さんが海岸に降りたところ、15人ほどの米軍人の遺体が岸に流れ着いているのを目撃したという。

 終戦後、新里さんが中学2年生の頃には、本島からスクラップ業者がやって来て、座礁した戦艦を破壊して鉄くずなどを持ち去り、船首部分の船底が海底に残ったという。

 新里さんは「渡嘉敷島の海岸に戦時中の米軍戦艦の残骸が確認できるのはここだけだ。今では船底のほとんどが砂で覆われている。以前から島民らもこの残骸を目撃していたが、今回やっとカメラや動画に収めて記録することができた。沖縄戦の悲惨さを後世に伝えてほしい」と話した。

 慶良間海域では、座間味村慶留間の外地島の南方約10キロ、水深約40メートルに日本軍の攻撃で沈没した米軍のLST―447(戦車揚陸艦、全長100メートル、1650トン)の船体が10年前に確認されている。
(米田英明通信員)