社会

チビチリガマ損壊 沖縄戦「集団自決」の壕 遺骨、遺品荒らされる 87年に右翼団体も破壊 読谷

荒らされていたチビチリガマ=12日、読谷村波平

 【読谷】沖縄戦で住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた、読谷村波平の自然壕「チビチリガマ」の内部や入り口が、何者かによって荒らされているのが12日、見つかった。チビチリガマの証言収集などに長年携わっている元村議の知花昌一さん(69)が知人を案内するため、同日午前11時ごろに訪ねた時に発覚した。ガマ内部の遺骨や沖縄戦当時の瓶やつぼといった遺品などが荒らされていた。遺族らは「言葉が出ない。ひどすぎる」と悲しんだ。

 チビチリガマは、1987年11月にも彫刻家金城実さん(79)が制作した「世代を結ぶ平和の像」が右翼団体員に破壊されたことがある。

 遺品の急須などが割られていたほか、平和学習で県内外から訪れた中高生らがささげた折り鶴は引きちぎられ、ガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」の石垣は破壊されていた。彫刻家の金城さんが作詞したチビチリガマの歌の碑や、立ち入り禁止の看板も引き抜かれ倒されていた。

 チビチリガマの遺族会によると、5日までは荒らされた様子はなかったという。「-平和の像」や香炉は残されていた。

 遺族会の与那覇徳雄会長は遺品や小さい骨がある場所まで荒らされたことについて「残された人にとっても侮辱だ。骨にも手を掛けられていて、ひどすぎる」と憤り唇を震わせた。

 石嶺伝実・読谷村長は同日午後、現場を訪れ「ずっと(沖縄戦の)継承事業をやってきた。常識では考えられない行動だ。遺族の悲しみを推し量ると残念だ」と述べた。

 嘉手納署が午後に現場を確認した。遺族会は村と相談しながら被害届を出すかどうか検討する。

 チビチリガマは95年に遺族らによって像が再建された。遺族会によると、4~5年前にも香炉が破壊されたことがあった。

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 チビチリガマ 読谷村波平にある自然壕。1945年4月の沖縄戦で米軍が上陸したことに伴い、周辺の住民140人が避難。4月2日、米軍の投降に応じずに83人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた。事実は長い間表に出なかったが、83年に作家・下嶋哲朗さんや住民による調査で全容が明らかになった。