「宮古馬増えうれしい」 「太平号」と40年ぶり再会


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太平号の剥製の前で、宮古馬を飼育する荷川取明弘さん(左)に支援金を贈呈する元具志川市長の当銘由親さん(右から2人目)=11月22日、宮古島市総合博物館

 【宮古島】日本の在来馬8種のうちの一種となる宮古馬。1970年代には7頭までに減り、絶滅が危ぶまれたが現在は47頭までに持ち直している。繁殖の礎を築いたのは約40年前にうるま市から宮古島市に里帰りした雄の「太平号」だ。功績が評価され、現在は宮古島市総合博物館で剥製化され展示されている。その太平号の里帰りに一役買った旧具志川市(現うるま市)の元市長・当銘由親さん(86)が11月22日、同博物館を訪れ約40年ぶりに太平号と再会した。

 太平号は50年代に宮古島から糸満市喜屋武に売られ、農耕馬として飼育された。その後旧具志川市に住んでいた陶芸家の名護宏明さんが買い受け、宮古島の旧称「太平山」から名前を取り、手塩にかけて育てた。

 減少していた当時、平良市に勤めていた長濱幸男さん(71)は繁殖用の血統の良い雄馬を探し、太平号に行き着いた。宮古馬の絶滅を危惧していた名護さんに掛け合い里帰りが決まった。その話を聞いた具志川市長の当銘さんが名護さんに無償譲渡を提案、名護さんも快諾し、太平号は78年に平良市へ里帰りした。

 80年には太平号の子馬「平太」が誕生、太平号は83年に老衰で死んだが、多くの人が太平号の死を惜しみ、剥製化の際には136万円の寄付が集まった。 

 当銘さんは「太平号の里帰りを機に頭数が盛り返してきてうれしい。まずは100頭を目指して保存に頑張ってほしい」と話した。当銘さんは仲間と集めた支援金を宮古馬飼育家の荷川取明弘さんに贈呈した。