13日に米軍普天間飛行場所属の米軍ヘリが、普天間第二小学校の校庭に窓を落下させた事故に関しては、児童の保護者から怒りの声が沸き上がった。僕はそれを遠いイタリアで、主にNHKの衛星放送で見た。僕自身の中にも終わらない基地問題への腹立ちが改めてわき起こったのは言うまでもない。
数日後、事故現場近くの幼稚園に子供を通わせる母親が「米軍に何を言ってもどうせ何も変わらない。基地とうまく付き合っていくしかない」と話した記事をインターネット上で見て、僕の憤まんは強い危機感へと変わった。沖縄県民は「何を言ってもどうせ何も変わらない」と諦めてはならない。諦めたとき、今ある「理不尽」は常態になり普通になり、当たり前になる。沖縄は怒り続けなければならない。
沖縄は日本の中で深く差別されている。差別されているから重い負担の米軍基地はなくならず、今回のような事件が再び、再三、再四、永久に起こる。そして高圧的な安倍政権に代表されるある種の日本国民は、「沖縄の痛みに寄り添う」という偽善的な言葉のみを発し続けて事態を受け流し、差別から目をそむける。沖縄は米軍にも、そしてなによりも日本政府に抗議し続けなければならない。
ネット上には「沖縄の反基地闘争は補助金目当て」などに始まる県民をおとしめる書き込みがあふれている。沖縄はそれらに翻弄(ほんろう)されてもならない。抵抗をやめれば誹謗(ひぼう)中傷もなくなるのではないか、悪いのは声を上げることなのではないか、などと考えれば彼らの思うつぼである。
怒ることは醜い。怒ることはつらい。だが苦しくとも、つらくとも、そして「怒る自らを醜いと意識する」悲しみに見舞われても、沖縄は決して抗弁を止めてはならないのである。
(仲宗根雅則 イタリア在、TVディレクター)